Life is Journey

世界を旅する四本の脚

Words by Kenji Jinnouchi, Photographs by Hiroshi Mizusaki ,Edit by Masafumi Tada

西鉄大橋駅前のビルの一室に佇むインテリアショップ「organ」。
1998年の開店以来、全国の“デザイン愛好家”からあつい視線を集める店だ。
店内には武末充敏・朋子夫妻が国内外から目利きしたデザイナーズ家具や日用品、服、民族用品、そして音楽といった“デザイン”、そして“クラフト”が交錯したアイテムが所狭しと並ぶ。
今回は、CENTRAL_メンバーの二俣さん藤戸さん三迫さんが店舗と武末さんのご自宅を訪問。
ニューヨークの土足の生活スタイルに憧れて自らビルを設計し、そしてイームズに導かれるように店を開いた武末さん。そんなorganの過去と現在、そして武末夫妻を買い付けの旅へと掻き立てるものについて話しを伺った。

C 武末さんが「organ」を開かれたのはいつですか?

 多分、1998年からだったと思います。それまで音楽をやっていたんでレコードとかを置きつつ、自分の好きな家具や雑貨も置くようになって。最初は週末だけ開けて、ときどき友人が遊びにくるようなゆるっとした感じだったんですよね。

 その翌年から私がお手伝いするようになったんですよね。

 約30年前にビルを建てたときから間取りは当時のままなんですか?

 一切触ってないです。このビルを設計することになったとき、ニューヨークのロフトスタイルみたいに土足で暮らす住まいにしたいと思って、見よう見まねでラフなデザインを描いたんです。依頼した建築屋さんは土足を前提とした学校の施工もするところだったんですけど、それでも何度も「ほんとにこれで大丈夫ですか?」と確認されながらの工事でした。いま店舗として使っている4階も、もともと僕の部屋だった空間で、店を始める際にも間取りは全然変えてないんですよね。いま思えば、この装飾は余計だったかなという部分もあるけど、この店舗と住居を繋ぐ階段は成功だったんじゃないかなと思います。普通は手すりの色は白とか黒にするんだろうけど、一か所くらい自分の好きな色を使おうと思って黄緑にしたんです。これが実にいいんですよ。当時はル・コルビジェの存在とか知らなかったけど、いま見るとどことなくル・コルビジェっぽくも見えてきて(笑)。

 リビングに降りてくるとき、バンと目に入りますよね。

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 ちょうど店を開いたくらいのタイミングで「BRUTUS」で岡本仁さんが担当したイームズの特集があって、それを見て、そういえば昔からこの椅子好きやったなっていう親近感が湧いたんです。そしたら、買い付けでよく海外に行ってたチクロマーケットの福田さんが、「イームズの椅子がアメリカで20ドルくらいでスタッキングされてましたよ」とか言うから、すぐにシカゴに探しに行ったんです。シカゴはイームズのデザインした製品を製作しているハーマンミラー社の近くだから沢山あるかなと目星をつけて。そこで買い付けた椅子を並べて、本格的に家具を扱うようになったんですよね。

 98年て僕らが大学を卒業したくらいの年なんですよ。その頃、ちょうど家具とかファッションとか音楽とかのカルチャーが一緒に入ってきてましたもんね。当時、ジラルドのファブリックを使った洋服がでてきて、このすごい色合いのファブリックは誰かなと調べたら、イームズのデザインチームにいた人だとわかったりとか。

 僕は高校までは鹿児島だったので、名建築とかインテリアとかに直に触れるようになったのは大学を卒業するころですね。でも、鹿児島空港の椅子は「なんかすっきりしてるな」とは感じてて、それがのちにイームズデザインのものだったってことが分かったんです。

 あー、あのベンチの並びは壮観ですよね。

 当時、8畳くらいの部屋に同じタイプのベンチを買っとったよね。

 そう。沖縄の米軍の払い下げで、黄色とオレンジで肘掛け付きのものを見つけて、すごい頑張って買ったんです。

 僕も雑誌でイームズを見たときに、「このプラスティックのチェアどこかで見た事があるな、好きだったな」と思ったんです。それは多分、西鉄電車のホームとか公共の施設に設置されてたものだとか、僕らの暮らしの周りに散らばっていたイームズ的なデザインが、記憶の奥に刷り込まれていたからじゃないかなと思いますね。

 このビルを設計したときっておいくつだったんですか?

 大学に入ってすぐにバンドをはじめて、ビルを建てるっていうんでその設計のために戻ってきたのが30歳のときですかね。

 30歳でビルを設計するとかなかなか実感が湧かないですね。

 でも藤戸さんも独立されたのは早かったんじゃないですか?

 僕は28歳のときでしたね。それより二俣が早かったよね。

 独立というか僕は就職を一切しなかったからね。学生時代からキューブ型コンセントタップとかプロダクトデザインを少しずつはじめて、卒業と同時に「E&Y」とか「IDEE」とかメーカーに持ち込んだりしてたんで。

 ですよね。私がE&Yにいたときは、すでにあのキューブを店に置いてましたから。でも、22歳の若さで名のあるメーカーに飛び込んでいけるってすごいチャレンジ精神ですよね。

 いや大学を出たばかりで分かってなかったんだと思います。実際、当時は全然食べていけなかったですしね。
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 武末さんはビルを建てて店を始めるまでの間にレコードショップで働いてらっしゃんたんですよね?

 天神のAREA DUEX(エリア ドゥ)てビルに入ってた「TOWER RECORDS KBC」て店ですね。

 AREA DUEX! 懐かしいですね。

 結構革新的なビルだったと思いますよ。1階にグロッサリーがあって、アップルも入ってて。TOWER RECORDS KBCは当時珍しかった直輸入盤を扱ってて、その仕入れを任されていたんで好きだったトーキング・ヘッズなどのニューウェーブにも力を入れていました。その頃から、音楽も“音のデザイン”なんだなと強く意識していました。


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C 武末さん夫妻は、いつも買い付けは二人で行かれているんですか?

 そうですね。もうフォーマットというか二人の役割分担が決まっているんです。

C 今回、台湾で買い付けた竹を使った日用品は朋子さんのセレクトということでしたが、二人の好みって意見が割れることはないんですか?

 ほとんどないですね。現場では二手に分かれて探すんですが、あえて言えば物を探すスピードくらい。彼女はじっくり探すタイプなんですが、僕が見落としたものを彼女が見つけてくれたりとかが結構ありますね。

 最近はセレクトするアイテムのキーワードというか解釈が少しずつ広がってきていて、前は“デザイン”というものが大きかったけど、最近は“クラフト”の比重が増えてきて、その二つの狭間になりつつあります。

 きっかけは2012年に訪れたスリランカだと思います。スリランカには自然と一体となったような建築を得意とするジェフリーバワのアトリエがあって、そこに泊まれるというので行ったんです。そしたら、そこにはイームズなどのデザイナーズ家具も置いているけど同時にスリランカの民族的なものもあって、そのミックスが新鮮に感じたんです。実は、僕が店を始める前はインドネシアとかマレーシアなどのアジアのものが好きだったというのもあって、その感覚はすんなり腑に落ちたんですよね。一周まわって民族的なものに再び惹かれてきたって感じでしょうか。

 organといえばミッドセンチュリーとか北欧とかのイメージが強いですけど、武末さんがアジア好きだったなんて意外ですね。

 フィンランドとか北欧では神話とか民族的な要素が強いから、共通している世界観があったりするんです。

 いろいろと調べていくと不思議なんですよね。タイのチェンマイで買った山岳民族のバングルと、ネイティブアメリカンのバングルが両方ともシルバーをただねじっただけのフォルムで、すごく似通っていたり。私が民族的なものに惹かれたのって、やっぱり最初の興味はミーハーだったりするんです。例えばジラルドやイームズがはまっていたカチナドールに興味を持ったのだって、デザイナーがこんなプリミティブなものをデザインソースにしていたのかって驚きが大きかったからだし。それからは雑誌とかで彼らの本棚に並んだ本の背表紙をみて、アフリカンテキスタイルの本があったら、それを調べてみたり。

 “プリミティブ=古めかしい”、“モダン=現代的”と相対する価値観ではなくて、モダンていうのは永続性だと考えているから、その二つは矛盾しないと思うんです。

 やっぱり元ネタって知りたいですよね。僕らのように洋服の世界ではモード以外では100%元となるソースが必要なんで。ゼロから100を作ろうとしていなくて、もともと古着だったり何かがあって、それを編集して形にしている感覚なんです。だから本棚の中身とか、僕らだったらクローゼットの中身とか大好物なんですよね。organも武末さんが昔着ていた洋服を並べてあるじゃないですか。そういうのから刺激やアイデアを受けるんですよね。そして服のほかにも武末さんセレクトの雑貨とかインテリアも並んでいる。いわば、店自体がでっかい武末さんのクローゼットみたいだなと感じましたね。

 それ、前に言われたことがあります。ここは“俺の店?”って(笑)。


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 元ネタでいうと、僕はもともとプログラマーだったので、オープンソースってコミュニティがあって、自分が作ったものやその元ネタを置いとく場所があるんですよね。

 それはみんなが共有しているんですか?

 そうです。世界中のみんながそれにアクセスすることができて、いわば論文のようなものです。そして優秀なプログラマーほど、そこにコミットしているんですよね。

 独占しないでみんなで再利用どうぞと。

 その根底には、それをやることで全体として世の中をよくしていこうという考え方があるんだと思います。

 三迫さんてzineコミュニティの10zineのイベントを海外で開催したり、ユニークな取り組みをされているじゃないですか。そんな風に福岡の人って大きなしがらみに捉われにくい適度な個人主義で、大都市に比べて単位もコンパクトが故に面白い動きをする人が多い気がしますね。

 フットワークが軽いっていうのは一つの強みですね。単位をちっちゃくして強いものを作ったほうが海外に繋がったりもしますしね。

 まさに。最近は猫も杓子もグローバルっていいたがるけど、ローカルを突き詰めて、マレーシアの誰々と繋がるとかの方がよっぽどリアルに世界に近づけると思うんですよね。

 僕らもzineコミュニティの10zineを台湾に持って行って、展示や販売、ワークショップなどのイベントを一緒にやったりしてるんです。そんな個人の単位で知り合いができたら、自分たちの殻に閉じこもったような人たちが他国のことを貶めているのがほんとにナンセンスだなと感じるんですよね。

 最近アジアに行きだしたから、アジアの人も物もほんとに好きなんですよ。だからネットの中とかで色々と小競り合いしているのが歯がゆくって。もっと個人として海外と繋がるシチュエーションが増えたらいいのにと思いますね。
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C 最後に、武末さんの今後の目標とかありますか?

 やっぱり買い付けの旅は一生続けていきたいですね。僕は年齢的なこともあるから、逆に世界中のいろんなところに出かけて、自分に対して刺激を与え興味を掻き立てるようにしないと。そしてその後は、意地の悪い友達が言うように、次期女社長にお任せしたらいいんじゃないかなと思います(笑)。



武末充敏
organ 男店主
1949年、 博多生まれ。70 年代、「葡萄畑」というバンドでアルバム発表&東京その日暮らし。80年代、福岡にもどり「タワーレコードKBC」に勤務。”家具の音楽”を目指し「フラットフェイス」というユニットでMIDIよりレコード発売。バブル崩壊後、何はなくとも我が家があるさ、と自宅にて「organ」 なるインテリア・ショップをはじめる。福岡在住のデザイナーと”靴のままの生活”を推進するENOUGHや、ZINEなどを試行。
organ-online.com


武末 朋子
organ女店主。
1974年、山口県生まれ。短大卒業後、興味のおもむくまま家具屋や映画館で働いた後、1999年頃から「organ」を手伝いはじめる。有名無名を問わず、ボーダーレスで人を惹きつけるものを見つける為に、国内外を旅するのがモットー。最近は「KO」や「Monica Castiglioni」といったジュエリーブランドの紹介にも力を注ぐ。


三迫太郎
グラフィックデザイナー、Webディレクター
1980年福岡県北九州市生まれ。2008年からフリーランスのグラフィックデザイナー・Webディレクターとして活動中。 デザイン業と平行してひとりWebマガジン「taromagazine」、zineコミュニティ「10zine」、情報ポータル「Prefab」運営などの課外活動を「仕事」と捉え、積極的に行動している。CENTRALではWebサイトのデザインを担当。
taromag.misaquo.org

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