FUJITO × Liverano & Liverano

“エレガンテジーンズ”が生まれた日

Words by Kenji Jinnouchi, Photographs by Naoko Miyauchi,Koji Michizoe,Hiroshi Mizusaki,Edit by Masafumi Tada

2002年、福岡の地で1型のデニムジーンズからスタートした「FUJITO」。
それから12年。FUJITOはシンプルで上質な大人の“普段着”を、トータルで提供するブランドとして成長した。

そのデザイナー・藤戸剛氏のターニングポイントとなった人物がいる。
イタリア・フィレンツェが誇るサルトリア(仕立屋)「Liverano&Liverano」の店主・アントニオ・リベラーノさん。7歳で仕立ての世界に足を踏み入れ、この道60年以上。同業者からも畏敬の念を抱かれる伝説の仕立て職人だ。

6年前、藤戸氏が1本のジーパンを持ち込んだことで生まれた2人の縁。それは現在も続き、FUJITOのフラッグショップ「Directors」で開催する、リベラーノさんが接客し仕立てる「トランクショー」も4回目を迎える。

このCENTRALのインタビューはその合間をぬって敢行したものだ。
通訳は日本人にして、リベラーノさんの右腕として活躍する大崎貴弘さん。

最初は言葉を選ぶように、ぽつりぽつりと話していたリベラーノさんだが、次第にその自身のスタイルを語る言葉は熱を帯びていった。

00079.MTS.Still004  何度かトランクショーの際に来てもらっていますが、福岡の印象を教えてください。
 少しずつ変わってますよね。前はもっと田舎っぽかったけど、街も人も訪れるたびに都会ぽくなってきてるなと感じます。きっと剛のような新しいクリエーターが都市を変えていっているんだと思います。

 少し前の話になりますが、僕が初めてリベラーノさんにお会いしたときのことって覚えていますか? この機会にそのときの印象を聞いてみたくて。
 そうだね…。剛に対してはすごく“動けるやつ”だと感じました。そしてどう動けばいいかも分かっていて、やる気に溢れた若者。そんなイメージでした。

 初めて会ったときはすごく緊張していたんですよ。やっぱりこの世界では神のような存在だし。でも、初対面なのにやさしく接してもらって、ジーパンに対してこうしてみたら、というリクエストまでいただけました。
 僕は剛のやる気を感じたのでね。だからジーンズに対してもリクエストしてみたんです。それに対してどうしたらいいのかも分かっているみたいだったから、すごく頭もいい人だなと思いました。

00079.MTS.Still011  今日もリベラーノさんに仕立ててもらったスーツを着ているんですが、僕とか背は高いほうじゃないですけど、とてもシルエットが美しく見えるなと思うんです。リベラーノさんがやっているスタイルを教えてもらえますか。
 (ジャケットを見せながら)リベラーノスタイルは前のダーツの部分が特徴で、肩の丸みやフロントの丸みが独特なんです。これがいわゆるフィレンツェスタイルですね。

 スーツ作りにおいてモットーとしていることは何ですか。
 暗くなりすぎないこと、エレガントであることを大切にしています。私たちはクラシックではあるけれども、20代から80代、どんな世代にも似合う、若々しいクラシックを提案しています。

 確かに、ジャケットはブルーとかネイビーとか定番色でも、Vゾーンのネクタイやスカーフは、赤とかピンクなど驚くほど明るい色をもってきますよね。
 そう。これがリベラーノの世界の一部だと思います。わたしたちはお客様に対して自分達の世界観をお伝えし、それをお買い上げいただいているという感覚を持っています。そのスタイルのひとつがエレガント。実は世界的なマーケットでみると、世界で最もエレガントな国はイタリアで、その次は日本だと言われているんですよ。だから日本の皆さんはそれを誇りに思って欲しいし、もっとスーツを楽しんでほしいと思います。


00079.MTS.Still005

リベラーノさんが何度も口にした「elegante(エレガンテ)」という言葉。
その世界観は、地元の佐世保でスケボーに目覚め、ストリートカルチャーにどっぷりだった藤戸氏の新しい扉であり、またカウンターとなり、ファッションに奥行きをもたらした。そして対談は、「剛はもっと遠くまで行くと思うよ。多分僕は鞄持ちになってるんじゃないかな」というリベラーノさんならではのイタリアンジョークで締められた。



後日、改めてDirectorsに藤戸氏を訪ねてみた。
今日は心なしか藤戸氏の表情もリラックスしているように見える。「鋼の心臓」を自負する藤戸氏も、やはりリベラーノさんの前ではいまだに緊張するという。
FUJITOでは「Liverano&Liverano」のデニムジーンズも作っている。その美しいジーンズの誕生秘話や、ブランドの世界観、福岡で仕事をする意義、そしてこの自身が参加するCENTRALという新しいメディアまで大いに語ってくれた。


まずは藤戸氏がリベラーノさんを訪れるようになったきっかけから。

「最初はうちのブランドを買ってもらっていたバイヤーさんが、FUJITOのジーパンを履いてフィレンツェのアトリエに行ったとき、『そのジーパンはどこのですか?』って興味を持ってもらったらしいんよね」


名前しか知らない異国の巨匠からの嬉しい言葉。すぐに次は自らジーパンを抱え、訪れることを決めた。ただその時は、イタリアに行ってみたいという気持ちがほとんどで、コラボレートしたいという思いなどなかったという。

「そしたら即、シルエットのリクエストとして、ジーパンにチャコペンで線をひいてくれたんよね。でも正直にいうと、そのときはジーパン的には無理かな〜と思ったわけ。何が難しいかというと、ジーパンには縮率ってあって、洗ったとき2cmとか平気で縮んでしまう。しかも時期や洗い方によっても縮みにブレがあってコントロールしずらい。でもリベラーノさんてミリ単位の仕事をしている人で、彼の緻密な設計通りにはいかないだろうなとは思ったと。でも「できるか?」って聞かれたら、「できます」って言うやん? それから帰って工場の人にお願いし倒したね」


出来上がったファーストサンプルをフィレンツェまで見せに行ったが、やはり合格はもらえず。もらったダメ出しを帰って修正する日々。フィレンツェや東京などにリベラーノさんを訪ねるやり取りを繰り返した。長くお世話になっているデニム工場への信頼、そして日本の技術ならきっと出来るはずという信念も、その気持ちを支えたという。そして3回目にしてようやく合格。そして生産にこぎつけるまで2年がかかった。

「長い道のりだったけど、やっぱり出来上がったものはオレが考えつかないくらい綺麗なシルエットになったと思うよ」


「Liverano&Liverano」のジーンズと、今まで藤戸さんが作ってきたものや、世の中のジーンズとの一番の違い。それは、ヒップの腰から膝の裏側にかけての生地のフィット感だという。

「一般的なジーンズって必ず余白がでるのよ。でも仕立てのいいジャケットにあわせるにはぴったりした方がいいって。で、どうするかというとジーンズの後ろ身頃だけ削るわけ。普通ジーパンて前後のパターンは一緒だけど、それをスラックスのようにたたんで、後ろの削る線をひくの。ジーパンでそんなことする人見た事ないけど、そうすることでリベラーノさんが言うところのエレガントなシルエットになるんよね」


そんな福岡とフィレンツェの往復書簡で生まれたジーンズも、一度立ち消えの危機に瀕したことがあるという。

「最終型となるサンプルを持って行ったとき。やっとこれで行こうと決まったけど、リベラーノさんが『一つだけ気になることがある』と言うの。何かと思ったら、セルビッチ(耳)付きの生地だとよじれるから、よじれない生地でできないのかって。最後の最後で、もう固まったね。」


道は2つだけ。耳のついてない普通の生地を使ってよじれないものを作るか、それとも、この話をなかったことにするか。胸に去来する今までの苦労やこのジーパンに対する思い。心底、このジーパンをカタチにしたいなと感じたという。そして藤戸氏は、耳なしのデニムも選ぼうと思ったら選べること、ただそれだとFUJITOが関わる必要性がないように思えること。そんな考えを正直に告白した。いままで温和だったリベラーノさんの表情が一変する。部屋に立ちこめる重い空気。リベラーノさんと通訳を務める大崎さんが一言二言話し、さらに長い沈黙が続いた。そしてようやくリベラーノさんが口を開いた。

「わかった。おまえたちがそういうならこの生地でやろうって。きっとあの時、大崎さんも『自分もこの生地で作るのがいいと思う』と口添えしてくれたんだと思う。ほんと危ない綱渡りだったけど、カタチにできてよかった」


ジーンズが好きで立ち上げた自らのブランドのアイデンティティ。それを押し通せたのは、リベラーノさんの器の大きさ、そして若者にチャンスをあげようという姿勢のお陰だったんだと振り返る。
FUJITOが今も昔も追い求めているのが「リアルクローズ」。シンプルで実用的な洋服であることを大前提とした“普段着”だ。それは仕事するにしても遊ぶにしてもそれを総称した日常着。そういうこともあり、藤戸氏は服作りをするとき、どういうルック(スタイル)を出したいかを考え、そこから逆算してそれに必要なアイテムは何かと落とし込んでいく。

「机に向かっていても神が降りてきたことなんて1回もない。けど、やっぱり人を見ているとふとコーディネートが浮かぶっちゃんね。それは日本でも海外でもそう。ホームレスのおいちゃんを見て、あのキャップのかぶり方なかなかできんな、と興奮することもあるし。洋服に着られてなくて、その人そのものの人柄や仕事だとかがにじみ出ている着こなしが素敵だなと」


2014年秋冬のスタイルには、数シーズンぶりにテーマが復活する。テーマは「ロガー(木こり)」。

「たまたま知り合ったイギリスの古着のディーラーが、髭をたくわえててかっこよかったっちゃん。着こなしも木こりっぽくてね。一応、その木こりにはストーリーがあって。彼は人里離れた山奥のログハウスで自給自足の生活をしてる。そして活動家なわけ。どういう風に自分の主張を発表するかというと、インターネットとかじゃなくてラジオを違法で流しているわけ。その山里の半径500mとかしか飛ばないアンテナだから、たまたま近くを通りかかった人のラジオからしか流れんのやけどね。まったくの架空のお話なんやけど、自分自身がそういう生活に憧れがあるから、今度の表現にもつながったんだと思う」


ブランドでは毎シーズン、ルックのスチール撮影に加え、ムービーも発表している。舞台は、砂丘だったり、スケートボードだったり、海辺だったり。

「より自分達の世界観を伝えたいと思ったとき、映像ってすごくいいツールだなと。空気感も伝わるし。僕たちはこういう生活を気持ちいいと思ってます、って分かるでしょ。やっぱり、洋服ってハンガーにかかっているだけじゃ全然楽しくない。これを着てどこに行こうとか、こういう遊びをしようとか、行動を伴って初めて楽しくなるじゃない。そのヒントになればいいかなって」


FUJITOとしてのブランドの世界観。それはまだ掴みきれてないという。ただ、立ち上げから10年以上が経ち見えてきたのは、細かいステッチワークが好きなこと、上質な素材を使った服の着心地が好きだということ。シンプルだけど上質。そういった原点回帰ともいえるコンセプトを追求していきたいという思いが強まっているという。それはリベラーノさんからの薫陶も少なからずあるだろう。



IMG_3751

福岡に拠点を構える藤戸氏、そしてFUJITO。今まで数々の媒体の取材時に、「どうして福岡を選んだか?」と質問を受けてきたという。ただ今まで、その理由を明確に答えられなかったが、やっとその答えが見えてきた。

「福岡には家族や仲間がいる。家賃が安くて飯が旨い、空港が近くて海外に行くときも韓国の仁川空港を経由する方が便利と、環境面でのアドバンテージがあるよね。そして、自分の時間軸で仕事ができる場所としては最高なんじゃないかとは思ってた。でも、最近考えるのは、オレって、福岡って場所を意図的に選んだわけじゃなく、残ってしまった人間なんだということ。昔は東京に出て行かなきゃとも思ったし、これで海外にいけらとも思ってた。いわば動けなかった人なんよ。でも、大切なのはどこでやるかより何をやるか。自分が今いる場所でベストを尽くそうってね。せっかく福岡でやるなら、その意義を再度確認したいなと。だから3月に長崎の波佐見で“thought”って九州のクリエーターを集めた合同展示会を企画したし、今回のこの“CENTRAL”を立ち上げたことだってそう。これだけ流通や情報が発展して、“福岡だからできない”って言い訳は通じなくなったよね。だから、福岡とか九州から面白いことを全国に、そして世界に飛ばしていこうって」


藤戸氏肝いりのCENTRAL。彼は堂々と「偏った情報を発信していきたい」と宣言する。

「ボールは遠くに投げる必要はない。一番近い人に手渡しで渡す感覚。極論だけど、木こりのラジオみたいに聞きたい人だけ聞きにきれくれたらいいと思う。去年、“CASE−REAL”の二俣にFUJITOの10周年のアニバーサリーアイテムとしてシューズを履くとき専用のスツール“SHOE STOOL”を作ってもらったっちゃん。こんなのあったら面白そうやないとか、二人だけで盛り上がって。そしたらロンドン発の“Wallpaper”のプロダクトオブザイヤーに選ばれてしまった。そんな風に、マスを意識せずに、自分がいいと思う純度が高ければ高いほど誰かの心にひっかかると思うから。」


さて、今回の取材時、実はちょっとした事件も起こっていた。リベラーノさんに藤戸氏が自身の印象を聞いたときのこと。リベラーノさんは、FUJITOというブランドを評し、「剛はスポーティなものと、うちのようなクラシックなものもやっている。その2つのうち、どちらにするか決めた方がいいんじゃないか」と言ったのだ。カジュアルとクラシック、その絶妙なミックスを保ってきたと思っていたところのアドバイス。店内がちょっと凍り付く。リベラーノジーンズ最終チェックの再来か。
その時のことを藤戸氏に聞いてみた。

「あれはリベラーノさんの世界からしたら当然のアドバイスと思ったね。やっぱりもっとクラシックも勉強しないといけないと思うし。でも、待てよと。将来、FUJITOの新しいクラシックラインを立ち上げるのもありじゃないかと。そう考えたらほんといいヒントをもらったなと思うね」


どこまでもポジティブ。そして、ピンチをチャンスに変えて来た藤戸剛というデザイナーの底力を見せられた気がした。


-

藤戸剛
ファッションデザイナー
1975年佐世保生まれ。「Vintage King」や「Denime Gear」を経て、2002年に自身のブランド「FUJITO」を立ち上げる。2008年にはその旗艦店「Directors」をオープン。
http://www.wstra.com

SHARE :