Town On The Stage

音の力で街を彩る

Words by Kenji Jinnouchi, Photographs by Nakasu Jazz , Edit&Coding by Masafumi Tada

2009年に産声をあげ、今年が7回目となる「NAKASU JAZZ」が、9月11日(金)、12日(土)に開催される。世界で活躍するビッグゲストをはじめ約80ものアーティストが参加し、近年は2日間で10万人強の観客を集めるなど、名実ともに日本最大級のジャズフェスティバルへと成長した音楽の祭典。
今回のFEATUREではそのステージを裏側で支える、3人の中洲ジャズ実行委員にインタビュー。「仕事」としてではなく、手弁当でも運営に関わりたいフェスティバルの意義や目指すもの、そして内側から見つめているからこそ知っている、NAKASU JAZZを楽しむポイントもこっそり聞いてみた。

まず最初に扉を叩いたのが、博多区にある和菓子舗・鈴懸の本社。NAKASU JAZZの立ち上げメンバーの一人で、実行委員会の委員長代理も務める中岡生公さんに話をうかがうためだ。
NAKASU JAZZを発案するきっかけとなったのは、やはり以前の輝きを失いつつあるように見える、中洲の現状を憂いてのことだった。若いときから中洲の街でさまざまなことを教えてもらったという中岡さん。映画館が連なり、百貨店の玉屋も構えていた繁華街は、夜だけでなく昼間も多くの人で賑わう街だったという。


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「最近中洲っていうと風俗的なイメージを持つ人も多いじゃない? カップルでデートするとか、子供を連れてとか、ご年配のご夫婦が一緒に楽しむというような街じゃなくなったよね。それを音楽の力を借りることで、街の雰囲気を作ることができるんじゃないかなと思いついたのが最初だね」

若者たちが集うエリアは大名や舞鶴、今泉など時代とともに移って行くけれど、中洲はいつまでも大人が集うかっこいい街でいて欲しい。そんな願いから立ち上がった中洲を盛り上げるための音楽フェスティバルの話だが、それは会議室で生まれたものではない。“呑みの席”という実に中洲らしい場所でだ。

「ちょうど3、4人で飲んでて中洲の街の話で盛り上がってね。音楽は人を惹きつけるよねとか、やっぱり中洲にはジャズが似合うよねとか。ステージなんか設けなくていいから、歩行者天国にしてテーブルやイスを並べて、入場料なんてとらずに路上でジャズを演奏してもらったら、面白いんじゃないって」

何気ない思いつきから転がり出したこのプロジェクト。その日の酒席のメンバーが、そのままの流れで実行委員会の中心として動くことになった。
しかし、急に思いついたものだから、第一回目は準備期間が3か月程度と、イベントの運営としては信じられないほどの突貫スケジュール。しかも有志で集まったスタッフも音楽イベントの運営に関しては全くの素人ばかりだ。
開催当日、集まった観客を整理するための「トラロープ」(黄色と黒の紐)を警察から用意するように言われても、全員「?」となったというエピソードも今でこそ笑い話に。中岡さん自身、ジャズに精通していたわけではなく、スタッフもみんな手探りだったが、中洲でジャズの祭典を開きたいという強い思いが道を開いたのか、大きな運を手繰り寄せていく。

「たまたま僕の後輩に『日野皓正さんと繋がることができます』というのがいたんだよね。そこを窓口に、日野さんとコンタクトがとれて、『中洲の路上で無料のジャズフェスをやりたいと思っているんです。それに出演してくれませんか?』と伝えたら、話にのってくれたのよ。しかも僕の周りのミュージシャンにも声をかけてみるねって」

その時、日本を代表するジャズトランぺッターの協力が得られなかったら、現在のようなNAKASU JAZZの形はなかったかもしれない。結局、時間の都合で十分な告知が出来なかったにも関わらず、フェスの当日、中洲の大通りには溢れんばかりの人が集まった。目論みは大成功だった。

「結局、僕らも興行がやりたくてNAKASU JAZZを始めたわけじゃないからね。純粋にわが街のことを考えてイベントを企画して、自分自身もそれにのっかって楽しんでいるだけだから。糸島のSunset Liveもそうだけど、「自分達が楽しいから」って始まったもののほうが、熱量が落ちないんじゃいかな」

県外からの来客も多い中洲。全国的な知名度を誇る街でこんな面白いことをやっていると知ってもらえたら、福岡全体のイメージも上がるはず。目線はいつも広く、先の方を向いている。だから、このジャズを中心としたムーブメントが中洲以外のエリアに飛び火するのも大歓迎だという。

「正直、ジャズ好きの人に集まって下さいなんて思ってないの。立ち上げ時からのコンセプトでもあるんだけど、目標は“街中がステージ”になること。『なんか気持ちいい音楽が聞こえるな』と誘われてフラリと立ち止まったり、音楽に耳を傾けながら中洲を散策したり。それが路上でも駐車場でもお店でも。ジャズってきっとそういうものじゃない。なかなか実現しないんだけど、地下鉄の中洲川端駅の構内でライブをするとか、オープントップバスで走りながら演奏するとかもやってみたいんだよね」

中岡さんの口からはユニークな構想がポンポンと飛び出してくる。確かに、サブウェイにジャズが響いたら格好いいに違いない。ニューヨークやパリの街のひとこまのように。パブリックなスペースでどれだけ面白いことが出来るかということが、街のイメージを決めるような気もする。

最後に中岡さんなりの見所を聞いてみた。

「僕が一番好きなのは中洲四丁目の交差点(中洲交番がある交差点)のステージかな。やっぱりあそこが中洲の中心であり、“聖地”なんだよね。あの場所で演奏することには一回目からこだわっていて、日野さんもそこでライブやってくれて『ここは面白いね』と言ってくれた。“街がステージ”というのを体感するためにもぜひ行って欲しいね」


面白そうなことはとりあえずやってみる。あとは走りながら考えればいい。
中岡さんたちのそんなアクティブな発想から動きだしたNAKASU JAZZ。
今度は実際に現場を動かしている全6つの「部会」の一つ、「演出部会」に所属するDAYSメンバーの水崎浩志さんに話を聞いた。

水崎さんがNAKASU JAZZに最初に関わるようになったのは、2回目の開催となる2010年から。中岡さんから「水崎ってバンドやってたんでしょう。音楽が好きならライブの写真撮ってよ」と、サラッと頼まれたのが最初のきっかけ。
その後、現在演出部会の部会長を務める桐山英治さんに頼まれ、正式に中洲ジャズの実行委員会に入った。年々スケール感を増すNAKASU JAZZだが、中岡さんも言っていたように、最初は素人を寄せ集めた集団。現場はトラブルが山積みだった。


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「当初から清流公園内と貴賓館前に設けた大きなステージはプロがやってくれてたんですけど、中洲大通りのステージは設営もライブ中の演出も自分らほぼ素人に任せられてたんです。ときにはよく分からないままに1ステージの演出を任されたり笑。音響機材も持ってないから太宰府とか北九州とか近隣の楽器屋さんに無償で貸してくれないかとお願いして。それを4tトラックに積んで各ステージに運んでいくという…。そんなズタボロの状況からスタートでした」

よくも悪くも、手作り感溢れる運営。全部のステージの専門的な作業をプロにお願いできるようになったのが、ようやく去年からだという。

NAKASU JAZZには今年も約80のアーティストが出演。世界的に活躍するアーティストから地元のミュージシャンまで幅広い。今年は福岡とアトランタシティの姉妹都市締結10周年を記念して、アトランタからの招聘アーティストも特別参加する。そうしたブッキングはどのように決めているのだろうか。

「まず大きいステージはアルバムを出したばかりのビッグゲストとかにプロモーションの一貫として出演してもらうことが多かったです。あとは演出部会のメンバーそれぞれがそれこそ個人的に誰を呼びたいかというリストを作って、アプローチするって流れですね。去年の自分で言えば山下 洋輔さんをリクエストしたり。実際、昨年は錚々たる出演者だったんですけど、史上最高額の予算を叩き出してしまって(苦笑)。お客さんが無料でイベントを楽しめるように、協賛金やグッズ販売でまかなっているので資金が潤沢なわけでもないし、やっぱりある程度身の丈に合った予算感にしないとですね」

フェスではビッグネームも呼びつつ、地元で活躍するアーティストにも目を向ける。予算の面では「申し訳ないな」と思う事もあるというが、その分、「それでも中洲の街を盛り上げたい」という意識のある人たちが参加してくれているという。

「ジャズって何か敷居が高いイメージがあるじゃないですか。ジャズバーとかで演奏してて、プレーヤーとか曲名とか歴史とか、ウンチクがないといけないみたいな。でもこのイベントのように“音を街に出す”とジャズが本来持っている自由さが出てくる気がします。アーティストのカテゴリーも、正統派のジャズプレーヤーからブルース、ロック、R&Bまで幅広いジャンルのミュージシャンに参加してもらって、間口を広くしてお祭りとして楽しんでもらっているんですよね。そしてステージが終わったあとは、アーティストがお店に入ってお酒を飲みながら即興で演奏してくれたり。実際、心意気でやってくれているミュージシャンもいるみたいです。昔は“流し”の人が店々をまわって演奏してたりしてたんだから、そういう状況が復活するとまた中洲に音楽が根付いていくんじゃないですかね」

そんな水崎さんに見所を訊くと。

「NAKASU JAZZと謳っているわけだから、やっぱり主役は中洲の町内と思っています。中洲の大通りのステージとかもう凄いアーティストをツラ(傍ら)で見れますし、こんな臨場感のあるライブってそうそうないと思いますよ。大通りには4つのステージがあって、それぞれが同時進行にならないようにスケジュールを組んでいて、ここが終わったら隣のステージが始まるような。だから通りを何回か往復するだけですごく沢山のライブを見ることができます。音に身を委ねながら中洲を歩いたら、音楽以外にも新しい中洲の魅了を発見できるんじゃないかなと思います」


そして最後に話をうかがったのは、実行委員会の運営部に所属し、普段は中洲で「Bar Loop」を営む岩永大志さん。イベントの変遷を中洲の内側から見つめて来た人だ。“中洲の人”にとってNAKASU JAZZとはどのように映るのだろうか。

岩永さんは第1回目からNAKASU JAZZに関わる古参。その頃は警備や誘導の手伝いだったが、4年前に山笠の先輩から誘われ、実行委員会に入った。現在は小口の協賛金の募集や、Tシャツや公式パンフレットの販売をするボランティアスタッフなどの取りまとめなどを担当している。


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「バーテンダーという仕事の関係もあり、ジャズに親しんではいましたが、そんなに熱狂的なファンだったわけではなくて。どちらかというと中洲でジャズをやるからお手伝いをさせてもらっているという感覚なんです。中洲で商売をやって25年になりますが、何年経っても中洲って謙虚じゃないといけないといけない場所だと思います。だから、中洲で何かあるときは裏方として支えるのが当然という意識なんですよね」

岩永さんはNAKASU JAZZの運営のほか、山笠にも参加し、秋は中洲まつりの手伝いもする。「多分、このフェスティバルのテーマがJAZZじゃなくてもお手伝いしていたと思います」という。それらの準備や当日は店を空けてしまうことも多いが、それほどまでに中洲で商売をさせてもらっているという意識は強い。だからこそ、多くの人が中洲に集まるNAKASU JAZZの当日は高揚感があるんですと目を細める。

「その日は普段の“社交場”とか“飲屋街”というコテコテの中洲が取っ払われて、普段来ないような人たちが集まってきて開放感に溢れているんです。まるでカーニバルのように。自分達の街がそんな熱気に包まれる姿を見ると、いろんな苦労も報われ、終わったあとにすごく達成感を感じるんです」

そんな中洲とフェスを知り尽くす岩永さん。
岩永さん流のNAKASU JAZZの楽しみ方にも、中洲の人ならではの視点があった。

「まず、“ジャズを中洲でやっている”ことに注目して欲しいですね。見たいアーティストを何人かピックアップして、それを聞いたらちょっと寄り道してお店で一杯ひっかけて、次はどこに行こうかと考えたり。そういう動き方の方が中洲らしいでしょ。この日って実はすごく治安がいいんですよ(笑)。あれだけ人出も多くて警備の人も沢山いますから。だから普段はちょっと足踏みしてしまうような細い路地や裏通り、気になるお店とか…。こんなに中洲を探索できる日はないんじゃないかなと思いますね」


中洲で面白いことをやりたいと考える人、音楽が好きな人、中洲に恩返しをしたい人…。イベントを裏から支える実行委員会の人もさまざま。
しかし、音楽の力を借りて人が集い、中洲という街の魅力を再発見して欲しいという思いは同じ。
秋の夜長、ジャズの音色に耳を傾けながら、中洲の街を散策して欲しい。


NAKASU JAZZ
9/11(金) 16:10〜22:00 ※インストアステージは〜22:30
9/12(土) 16:00〜22:00 ※インストアステージは〜21:50
西日本最大級の歓楽街・中洲がジャズの音色に染まる屋外ライブイベント。
“街全体がステージ”を合い言葉に、計10カ所のステージで約80組のアーティストが出演する。フリーライブとは思えない豪華なアーティストのライブを間近で楽しめるのが魅力。オリジナルグッズやパンフレットの特設販売ブースも覗いてみたい。
nakasujazz.net



中岡 生公
鈴懸 代表取締役。中洲ジャズ実行委員会 実行委員長代理
「現代の名工」に賞された初代中岡三郎の教えを受け継ぐ、
老舗和菓子店「鈴懸」の三代目。
http://www.suzukake.co.jp


水﨑 浩志
写真家。中洲ジャズ実行委員会
1970年、福岡県生まれ。2000年よりフリーランス。
対象はstill lifeからarchitectureまで幅広い。

www.loop-pc.jp


岩永 大志
Bar Loop店主。中洲ジャズ実行委員会
22歳からバーテンダーの道へ。
以来、中洲でシェーカーを振って25年目を迎える。

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