A MOMENT OF ETERNITY

アートを通して未来へ種を蒔く

Words by Kenji Jinnouchi, Photographs by Hiroshi Mizusaki,Edit by Masafumi Tada

「現代美術をみるなら太宰府へ」。
アートを愛する者の間でそんな言葉が飛び交うようになって久しい。
そのキーマンは太宰府天満宮の権宮司でアートへの造詣も深い西高辻信宏さん。
2006年、第一線のアーティストを招き取材・滞在してもらうことで、新しい太宰府の姿を映し出す「太宰府天満宮アートプログラム」を開始。そこで生まれた作品を未来へ受け渡す地域の財産としてきた。
そのアートプログラムのvol.7で招かれたのが日本画家の神戸智行さん。
箔と和紙を何層にも重ねることで生み出される奥行きのある世界観。代表作のひとつ「陽のあたる場所」は私たちの身近な水辺を描きつつも、永遠に繋がる森羅万象の世界を想像させる。
そんな神戸さんは、2014年1月から太宰府に居を移し、太宰府天満宮で24面もの襖絵の大作を制作している。
今回のFEATUREは、神戸さんの絵に惚れ込み、鈴懸の包装紙を依頼している中岡さんを交え、アートと神道、そして太宰府の可能性を話してもらった。


C まず、神戸さんと西高辻さんが出会った経緯から教えてもらえますか?

西高辻さん(以下:西) 最初に神戸さんと出会ったのは2008年10月。当時、私が留学していたボストンの日本国総領事館で行われたパーティーの会場でした。その時、日本人の若手芸術家や研究者が集まっていて、神戸さんも招待客の一人だったんです。実は神戸さんの存在は、共通の知人を通して日本にいる時から知っていて、ボストンでお会いできるのを楽しみにしていたんです。

神戸さん(以下:神) その頃僕は、文化庁在外研修員として1年間、自分の好きなところに行って研究する機会をいただいてました。そこで、かねてからじっくり見たいと思っていた美術館があるボストンを選びました。ボストン美術館は世界有数の東洋芸術をコレクションすることでも知られ、岡倉天心が中国・日本美術部長を務めていたということもあり、横山大観など向こうでしか観られない日本画が多く、それら日本画の名作を、腰をすえて観てみたかったんです。当初は、ボストンでも日本画の制作を行う予定でしたが、向こうは本当に寒い地域で、冬だと外はマイナス20度にもなります。もちろん部屋の中はセントラルヒーティングで半袖でもいいくらいなのですが、日本画の画材って乾燥に弱いものが多く、ニカワが乾燥して割れたり、木が反ってしまったりと制作する環境としてはかなり厳しかったので、頭を切り替えて1年間はこもって日本画の画材で制作をするよりも、じっくり取材や見聞を広げることに集中しようと思いました。実際、色んな分野で活躍されている方々と出会ったり、様々な展覧会やイベント、美術館に行ったりする事で一年間はあっという間でした。

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神戸智行 氏


C ボストンではどのような交流をされていたんでしょう?

 信宏さんが住んでいたところとは駅で1駅という近かったこともあり、毎週のように会っていました。ハーバード大学のキャンパスや美術館、博物館を案内してもらったり、郊外で開催しているイベントや州を越えてイェール大学のミュージアムを訪れたり。言葉の面で信宏さんにはよく助けてもらいました。

西 ボストンだけでなく、ワシントンのフリーア美術館に俵屋宗達や尾形光琳の屏風を観に行ったり、運転して西海岸のクラーク日本美術・文化研究センター収蔵の神戸さんの屏風を観に行ったりもしましたね。

 印象的だったのが信宏さんとの作品を観る視点の違い。僕は日本画家ですからどうしても作り手の視点で作品を観るのですが、信宏さんは研究者でもあり、またコレクターでもあるので違った視点で感じているのが面白く、勉強にもなりました。

西 日本だとアートにしても日本画の研究にしても縦割りになるんですが、アメリカだと日本の研究者というくくりで、政治学、文化、美術などそれぞれの分野の専門家が集まって違う視点から議論が始まったり、ネットワークができたりと軽々と分野の垣根を越えてしまうんです。私も神戸さんのワークショップに参加することで、作品の制作方法を見せてもらったり、逆に神道の話をさせてもらったりと学ぶことは多かったですね。

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西高辻信宏 氏

C 日本に帰ってからも交流は続き、太宰府天満宮のアートプログラムの7回目目を担当されるわけですが、そのときのことを教えてください。

 最初に取材に先だって、太宰府天満宮で最も大切な神事とされる神幸式大祭に招待していただきました。以前住んでいた関東の自宅の近くや岐阜の実家の近くにも天満宮があり親しみもあったのですが、太宰府天満宮は全国の天満宮の総本社と呼ばれるだけあって、はじめて境内に足を踏み入れた瞬間から「ここは空気が違う」と思いました。そして神職の方だけではなく、街のいろんな人たちが祭りに関わって、土地や文化に感謝の思いを込めながら参加している。こんなところにいつか住めたらいいなと漠然と思いましたね。

中岡さん(以下:中) 僕も3年前に神幸式を初めてみせてもらったんだけど、福岡と太宰府じゃ時間の流れが全然違うなと感じたね。僕が山笠にもでている博多っ子気質だというのもあるんだけど、古くから商都と呼ばれていている博多に対し、太宰府は雅びというか、言葉遣いひとつにしても違うんだなと。

西 やっぱり京都の影響が大きいんですよね。例えばものに“お”を付けて呼んだりとか。神輿を肩に担ぐことを“おかた”と言ったり、南の方角を“おみなみ”と呼んだりとかしますね。アートプログラムに際しては、神戸さんには本当に何度も太宰府に通ってもらい丹念に取材をしてもらいました。

 季節を変えながら、全部で10回ほど足を運ばせてもらいましたね。そんな太宰府での取材の最中、東日本大震災が起こったんです。その日は境内でスケッチをしていたため、東北でそんな大地震がおこったことを知らず、神職さんに「ご自宅は大丈夫でしたか?」と言われ被害の大きさを知りました。あの日を境に大きく日本が変わってしまった、社会や生き方が変わってしまったと感じます。そして僕がここにいて、生きていて、いま天神様に絵を奉納させていただくことは、「今(いま)」という一瞬の世界としっかり向い合って描く事が「現在(いま)」を描くことになり、その一瞬の中に永遠とも感じられるような多くの事象を表現できるんじゃないかと思い、タイトルを「一瞬の永遠」とさせていただきました。

西 一瞬でその前後が変わってしまうことがあるかもしれないけど、1100年以上の歴史がある太宰府天満宮も、その一瞬一瞬の積み重ねで今があるわけで、また永遠という時間にもさらに積み重ねがある。その2つの本質を自然の描写に託して描いていただいたと思います。

 以前から自然をモチーフにした作品を描いていたんですが、太宰府に滞在したり、信宏さんと話をすることでどうして自分がこんな作品を描くのか腑に落ちたところもあったんです。それは元々自然が好きで気持ちを込められるというだけではなくて、もっと深いところで本質とか核となるものがあるのだと。留学をして日本を外から見たときに、日本の当たり前が世界の当たり前ではないことが沢山ありました。世界の多くの人々はキリスト教やイスラム教、ユダヤ教など一神教を信仰しています。一方、多くの日本人は無神教とも言われていますが、八百万の神々を敬う心を持っています。そんな元々日本人が持っている自然への畏敬の念というのは、本当は私達がこの地球で生きる上ではとても重要で、これだけ科学が発達した現代だからこそ大切にすべきことなんだ、そして描いていくべきものなんだと確信が持てました。

C ほかにも神道と共通していると思うことはありますか?

 日本画の素材は古くからあるんですが、環境などの変化で、和紙が痩せてきてしまったり、顔料が国内で採れにくくなったりと、以前と同じものと使うことが難しくなってきています。でも、逆に今の時代でしか描けない日本画もあると思うのです。例えば、僕の絵はパネルに金箔や銀箔を貼って、その上に和紙をレイヤーのように重ねていく手法なのですが、この和紙は昔の技術では漉けなかった極薄の紙なんです。しかも横幅1mでロールでいくらでも大きくできます。それはティッシュペーパーを裂いたものよりさらに薄く、いまでは世界中の古文書の修覆などにも欠かせない素材で、日本の技術でしか作れません。無くなってしまう良いものがあれば、生まれてくる良いものもある筈です。そういう意味で、日本画も神社も先人の意思を大切にしながら新しいものを作り出して、これからの人に影響を与えていくという点で同じような気がします。

C いま鈴懸では、神戸さんが描いた絵を用いた包装紙を使ってますよね。中岡さんが神戸さんの作品に惹かれるようになったのはいつからですか?

 もとは信宏くんからの紹介なんですが、2011年にとある事情で自宅に飾る絵を探していて、そのとき一時だけ、神戸さんの屏風絵を借りたんだよね。もちろん事が終わったらお返しする約束だったんだけど、一度部屋に飾ったらどうしても自分の手元に置いときたいと思って、そのまま購入させてもらったんです。それから店の包装紙や季節の掛け紙もお願いしました。神戸さんには特に何を描いてと具体的なリクエストはしてません。ただ、福岡や九州の空気感をなんとか絵にできないかという話は1年くらいかけて練り上げました。

 普段はやりとりを交わして絵を描くことはほとんどないのですが、話しているうちに中岡さんのお菓子に対する考え方に感銘を受けて、例えば自然のものを大切にするとか、いい材料を使うとかは、日本画にも通ずるところがいろいろとあって、楽しく描かせてもらいました。

C 描くうえで、屏風画と掛け紙の違いってありますか?

 やはりお菓子が主役で、掛け紙はその入口だと思います。お菓子が表現する季節の「ああいまはこんな時期なのか」とお客様に感じてもらう扉だと思います。もちろん、包んだ箱の状態での絵の見え方も大切です。

西 以前から、鈴懸のお菓子にはきっと神戸さんの絵が合うと思っていたんで、嬉しいコラボレーションです。僕の母も季節の掛け紙を集める“コレクター”なんですよ。

C 箔と和紙を何層にも重ねるという神戸さんの技法は古典技術を土台にしながら、まったく新しい印象を与えます。その表現方法はどのようにして辿り着いたんですか?

 僕は大学を出て研究室に入り、そこで日本画の修覆に携わる先生方と関わる機会がありました。日本画には絹に描いた軸などに、裏から赤を差すと表からはピンクに見えるというような裏彩色という技法があります。いまはパネルを支持体に和紙を貼って描くのでそれは使えないのですが、それに似た表現が出来ないかなと考えたんです。そういう時に、日本の新しい和紙を使うことを思いついたんです。しかも紙は日本中で作られていて、それぞれにいろんな表情があります。だから無限の可能性があるなって。

西 そうは言っても、箔を貼るだけでも大変な作業だと思います。うちが所蔵している「陽のあたる場所」という高さ3m、幅12.8mの大作があるんですが、それの全面に数千枚の箔を貼っているんです。さらにその上から睡蓮の葉っぱを切り取って重ねてと。

 箔を貼るときは少しでも風があると浮いてしまうので、夏は事前に冷房をきんきんにきかせて、一旦切ってから作業して一段落したらまたスイッチを入れるとしています。冬はその逆ですね。また自分の息も大敵なので息も止めながらです。また、ニカワの状態も夏場は腐りやすかったり、冬場はゲル化しやすかったりと常に注意したりとか。日本画って材料も自然のものが多いですが、制作に関しても自然とともに作っているなと実感しますね。

西 電気を消して見るとまた印象が違うんですよ。
(消灯)

 ほんとだね。心持ち、屏風自体が灯りを放っているよう。畳の反射でそう見えるのかな。

西 見え方は外の天気によっても違いますし、蝋燭の灯りで観ても水面にまた違った奥行きがでますよね。

 日本画って、室内とかしつらえとか文化にそった美術なんだと思います。

西 襖絵をお願いしたときに「これから100年後の人たちが観たときに、これどうやって描いたんだろうという仕掛けをしたい」とおっしゃってたんですよね。いわば未来への謎掛け、挑戦状。

 自分でハードルを上げてしまいましたね(笑)。

 でもきっと古くからそういう風に考えてやってきた作家はたくさんいるよね。建築とかもそうだし。

 日本画家の速水御舟も、何年後かの人たちがどうやって描いたか分からないように描いた、と語っていたり、今もどのような手法で描かれているのかわからない作品を残している作家は他にも何人かいたりします。

 へえ。でも100年後、200年後の人たちが自分が描いた絵を観てくれるって考えたら楽しみだね。

陽のあたる場所(部分)
「陽のあたる場所」(一部)


C 太宰府天満宮では今後どのようなアートに対する取り組みを予定されていますか?

西 現在、宝物殿にて酒井咲帆さんと前田景さんによる写真展「神さまはどこ?」が9月7日(日)まで開催されています。そのあとは、デンマーク出身のニコライ=バーグマンのフラワーアートの展示が10月10日(金)〜13日(月)に太宰府天満宮と宝満宮竈門神社で予定されています。さらに、アートプログラムの9人目のアーティストとなるホンマタカシさんの企画も進行中ですね。

 ほんと、最近は“太宰府=アート”というイメージが普通に出てくるようになったよね。文化としての太宰府。ちょっと前まで福岡はアートとか現代美術が少ないって言われたりもしてたけど、確実に面白くなっていっている気がするね。

 東京から来た学芸員の方とかも、「なんでライアン=ガンダーや、サイモン=フジワラとか第一線のアーティストの作品がこんなにあるんですか」って驚かれますもんね。

 神戸さんや信宏くんをはじめいろんな人が過去からのものを引き継いで、これからの文化の種を蒔いていってる。太宰府でアートを通して人と繋がれるって、福岡の人間としてこんなに嬉しいことはないね。

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神戸 智行
日本画家
多摩美術大学日本画専攻卒業後、同大学大学院日本画専攻修了。2008年、文化庁在外研修員として1年間ボストンで研修。太宰府天満宮アートプログラムや「DOMANI・明日展 未来を担う美術家たち」(国立新美術館)など展示会多数


西高辻 信宏
太宰府天満宮 権宮司
東京大学文学部歴史文化学科(美術史学)卒業。國學院大學大学院にて神職資格並びに修士号取得後、太宰府天満宮に奉職。その後、ハーバード大学ライシャワー研究所の客員研究員を務め帰国。現在、太宰府天満宮の権宮司と太宰府天満宮宝物殿の館長を兼任。
http://www.dazaifutenmangu.or.jp

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