Big Island of Happiness
ありのままの奄美に身を委ねる
Words&Photographs by Kenji Jinnouchi,Edit&Photographs by Masafumi Tada
今回は、前回のCENTRAL_FEATUREの取材と、FUJITOのコレクションムービーの撮影のため、
奄美大島に渡ったクルーの3日間を番外編としてお届けする。
福岡から直行便で1時間強。奄美空港に到着したプロペラ機から降り立つと、
福岡とは違う濃密で湿ったような風を感じた。
今回の旅の目的は主に2つ。ひとつは今シーズンのイメージスチールとムービーを奄美の地で撮ること。
そしてもうひとつは今回のアイテムの染色をお願いしている金井工芸にて、泥染の体験をすることだ。
奄美大島は鹿児島と沖縄の間にある奄美群島のひとつで、離島としては新潟の佐渡島に次ぐ大きさ。
島のほぼ北東端にある空港から西端までは車で3時間ほどを要する、その名の通りの“大島”だ。
まずは海沿いの道を走り、金井工芸を目指す。奄美群島は全域が亜熱帯気候に属し、
なかでも奄美大島は年間雨量が非常に多いことでも知られ、そのせいもあって島の植物はどれも巨大で色鮮やか。本土ではみかけない極彩色の花が咲き、また同種の草木であっても滴るような濃い緑色を帯びている。
泥染体験の前に腹ごしらえを、と立ち寄ったのが奄美大島の郷土料理の筆頭、鶏飯の店。空港から延びる県道沿いに建つ「けいはん ひさ倉」はドライブイン的な佇まい。一応、鶏すきや焼鳥などの鶏料理も用意されているのだが、周りを見渡しても客の注文は鶏飯の一択のみ。もちろんわれわれも鶏飯を注文した。
鶏飯が生まれたのは江戸時代のころ。もともとは薩摩藩の役人をもてなすための“殿様料理”で、昔は鶏肉の炊き込みご飯のようなものだったのだが、それが戦後、もっとあっさりと食べられるものへと工夫され、現在のような鶏雑炊のような料理になった。ひさ倉ではかしわ肉、シイタケ、ネギ、錦糸卵などの鶏飯の具材が各人に行き渡り、それにおひつに入ったご飯と大きな鍋に入った鶏のスープが運ばれてくる。
まずは黄金色に澄みきった鶏のスープだけをすすってみる。口に入れた第一印象はさっぱりとした感じだが、じわじわと濃厚な鶏のうま味が押し寄せてくる。もちろん鶏独特のクセは皆無で、いくらでもお代わりしたくなるような魔性のスープだ。濃厚に白濁した博多の水炊きが“動”のうま味とするなら、鶏飯のスープは“静”のうま味。そのスープを具材や薬味をのせたご飯にかけてかき込んでいく。そのままでももちろん旨いのだが、それに輪をかけて甘いパパイヤの漬物とたんかんの皮の柑橘の香りがほどよいアクセントとなって、スルスルといくらでも入っていく。一同競うようにお代わりをし、あっという間にスープは空になった。
この鶏飯、実はみんながあまりにも気に入ってしまい、3日間の滞在のうち3日とも昼食は鶏飯屋に通ってしまうこととなる。初日、2日目と通った「ひさ倉」のほか、最終日に立ち寄った昔ながらの町並みが残る笠利町にある鶏飯の元祖といわれる「みなとや」も、スープのコクと香りに独特のパンチがあり、クルー一同を唸らせた。
金井工芸で泥染を体験している最中、近くで山羊の鳴く声が聞こえた。どこかのお宅で飼われている山羊かと尋ねると、「そうかもしれないし、奄美には野生の山羊もたくさんいる」と金井志人さん。また、東京からの移住組で現在は工房で働く川島ゆたかさんは、家に帰る途中の道端で近所の人たちが酒盛りをしていて、それが関所のようにいくつもあるからなかなか家にたどり着けない、というようなことも話していた。そんな時代を遡ったかのような風景や人々のつながりを、奄美ではいくつも目にした。
今回の旅は島の人気サーフスポット・手広海岸の近くにある「PARADISE+inn」に宿泊。
3つのシングルルームを含むわずか5室のみの小体なB&Bだ。樹齢400年以上という大きなガジュマルの樹が宿に寄り添うように枝葉を伸ばし、すぐ裏手には珊瑚礁に囲まれたビーチが広がっている。奄美の自然やスピリチュアルを感じるのにこれ以上はないロケーション。河瀬直美監督の映画「2つ目の窓」のロケにもこの辺りが使われたという。部屋の造りは簡素だが、質のいいシーツとゆったりとしたバスタブが用意されている。そしてベランダからは陽の加減によって青にも緑にも見えるガラス色の海が。心ゆくまでこの“パラダイス”を味わって欲しいということだろう。
「PARADISE+inn」は東京(代官山)と神奈川(葉山)でセレクトショップを営む高須勇人さんが開いた宿で、1階にはdosaやオリジナルアイテムを扱うショップ「PARADISE STORE」を併設。仕事で何度もハワイ島に通う高須さんが、「奄美にはハワイに勝るとも劣らない魅力がある」と惚れ込み、島の自然や文化、時間に身を委ねるために家と店を構えたという。
この日の夕食は金井さんや川島さんを交え、彼らがおすすめする島の中心地・名瀬にある郷土料理の店「喜多八」でいただくことになった。訪れた日は平日だったが、観光客と地元の人が入り交じり、1階2階すべての席は満席で大いに繁盛していた。標準語と耳慣れない方言が入り交じり飛び交い、心地のいい喧噪を作り出している。
オリオンビールで乾杯し、突き出しの島豆腐のおからや島らっきょうの鰹節和え、巻貝の塩煮などを味わっていると、注文もしていないのに次々と大皿料理が運ばれてくる。なんでも喜多八はおまかせでコースのように運ばれてくる島料理と、飲み放題がセットになったスタイルの店で、気に入った料理はお代わりもできるという。
奄美の宴には欠かせない黒糖焼酎も数種類用意されていて、奄美の味にどっぷりと浸れる。
料理は南国らしく全体的には甘めで濃い味が中心。マグロやタコに甘い島味噌がかかった刺身、冬瓜と豚肉の吸い物、煮干しと千切りにした野菜を和えただけの油ソーメン、豚足のテビチなど運ばれてくる料理がどれも膝を打つ旨さ。味付けはおそらく、塩や醤油、砂糖、黒糖焼酎などごくごくシンプルなのだが、それが故に海や大地で採れた素材の滋味や力強さが際立っている。なかでも塩漬けした骨付きの豚肉と奄美特産の里芋、野菜などの炊き合わせは、もう超絶の美味しさ。途中から島内の奄美大島酒造の高倉という黒糖焼酎に切り替えたのだが、コクと果実のような甘い香りのある黒糖焼酎と奄美の料理は、やはり最高の相性で、普段は黒糖焼酎を飲まない面々も杯を重ねていった。
喜多八がおまかせコースの店なのは前述のとおりだが、美味しい料理の数々に舌鼓を打ち、そろそろ胃袋の限界が近づいて来てもまだまだコースの終わりが見えてこない。「まだ続くのか…」と誰もが思い始めたころ、ようやく“締め”と聞いた卵の薄焼きに包まれた島おにぎりが運ばれて来た。はちきれんばかりのお腹をさすり完食すると、さらにサービスのイカ墨汁がやってきて満漢全席のような宴は無事お開きとなった。
翌朝、太陽が昇る時間にあわせビーチで撮影を終えたあと、宿の隣の離れに朝食をとるために移動。地元の野菜を使ったポタージュやフルーツのヨーグルトなどスローで丁寧に作られたものが並び、まだ昨日の疲れと眠気を帯びた体に染み入るようにやさしい。朝食に付く蜂蜜は島のフルーツ農家さんが島内で希少な日本蜜蜂を使って集めた蜂蜜で、濃厚な甘さと華やかなハーブのような香りが感じられて美味しかった。
2日目は金井さんの案内で手つかずの自然が残る奄美の中でもさらにディープな場所に向かった。泥染めした生地を洗うという上流の沢ではその清冽な水に驚き、パラグライダーの滑走にも使われるという急峻な山肌からは奄美大島東部のキュッとくびれた首根っこの部分を見渡しランドスケープを手中にした。青いグラデーションの海の先には喜界島も見える。
訪れる前は奄美大島には海のイメージを持っていたが、実は島の8割が森林に覆われており、海岸線から駆け上がるように山々が連って、その隙間のわずかな平地に民家やらさとうきび畑が点在している。山には猛毒を持つハブが棲むこともあり、地元の人は山を畏れ神聖な場所として敬ってきたのだという。
金井さんと別れ、田中一村記念美術館へと向かった(後日、武末ご夫妻も訪問)。田中一村は“日本のゴーギャン”と呼ばれ、中央画壇と決別し奄美を終の住処とした孤高の画家。展示室は奄美の海をイメージした池の上に、地元の高倉をモチーフにした建物が3棟並ぶ。奄美の植物や花鳥をビビッドに描いた後期の作風は知っていたものの、それに至る画風の変遷まで目の当たりにすることができ、まさに一村の苦悩と葛藤の画家人生の足跡が詰まっていた。
展示は10歳にも満たない頃の一村が描いた南画(水墨画)ではじまる。この頃から溢れんばかりの才能がほとばしっており、神童とはまさしくこの人のことかと感嘆してしまう。一村はその後、自身の病気などいくつかの転機が訪れ、画壇や後援者に支持されなかったこともあり、50歳にして奄美への移住を決意する。そしてありのままの自然が残る島で、その画才が開花した。
一村は奄美大島ではトタン葺きの小さな家を借り、そこをアトリエに改装して暮らしていた。そして大島紬の職人として働き、零細な賃金を蓄えては画材を買い、誰のためでもなく自分が良いと思える絵を描くことだけに没頭していたという。
生涯、嫁もめとらずただ一度の個展も開かなかった一村。そのあまりにも無垢で不器用で、一途な絵への想いが一枚一枚から溢れていて、美術や芸術の枠を超えた感動が押し寄せてきた。
美術館をあとにし、島北部の内海を海岸線に沿って車を走らせる。南からの湿った風の通り道だからか、奄美ではいつもどこかに雲がかかり、どこかしらで雨が降っていた。そして雨が去れば大きな虹が山や海に架かり消えていった。
奄美での最後の晩餐はPARADISE+innの1階にあるカフェ&ギャラリー「YUMEKURENAI」にうかがった。
陶芸家・中嶋夢元さん夫妻が営む店だ。
おしゃれで心づくしの料理を味わったあと表に出ると、いつの間にか群青の夜空が降りてきていた。わずかばかりの宿の灯りから離れるように、暗がりの浜辺へ降りてみる。星座のありかもわからないほどの満天の星空が頭上にひらけ、いくつもの流れ星がはっきりと現れては、そのたびに小さな歓声があがった。
わずか3日間だった今回の奄美時間。ありのままの自然を受け入れ感謝し、伝統を受け継いだり
創り出したりして、ここでしかできないことに打ち込んでいる。
そして地の物を食べ、呑み、毎日を愉しんでいる。奄美で出会った人たちはみな、
幸福のありかを知っているように思えた。
けいはん ひさ倉
鹿児島県大島郡龍郷町屋入
0997−62−2988
http://www4.synapse.ne.jp/hisakura/
自家養鶏場で放し飼いにした地鶏を使った鶏飯が気軽に食べられる、地元の有名店。鶏飯は1人前950円。
PARADISE+inn
鹿児島県奄美市笠利町用安1257−12
0997−63−2820
珊瑚礁のリーフに囲まれた穏やかな海に面した宿泊施設。あえて、テレビやエアコンなどの文明の利器や過剰な施設を排した“何もない贅沢”のなか、奄美の自然や時間にじっくりと浸りたい。
喜多八
鹿児島県奄美市名瀬入舟町18−30
0997−54−0586
さまざまな郷土料理を味わえる奄美随一の人気店。素材の味を活かした素朴な味付けで、黒糖焼酎との相性は抜群。腹一杯食べてたらふく飲んで4000円ほど。
田中一村記念美術館
鹿児島県奄美市笠利町節田1834
0997−55−2635
http://www.amamipark.com/isson/isson.html
奄美パークの中にあり、約455点の収蔵品の中から90点程度を展示。入館料は510円(共通観覧券は620円)。隣には一村が描いた絵画をモチーフに植栽した一村の杜もある。