NACHHALTIG

持続可能な社会について考えてみる

Photographs,Words,Edit by Masafumi Tada

9月上旬、住宅産業に関わる様々な企業から構成される一般社団法人 全国住宅産業地域活性化協議会を中心に、環境省の在ドイツ大使館職員、建築士、保険会社などが参加する、ドイツの環境都市・フライブルグを拠点とした太陽光発電の自家消費モデルや持続可能な森林づくりの視察に縁があって同行させてもらった。今回の特集は、現地在住のジャーナリストであり環境コンサルタントの村上敦さんの案内のもと視察で巡った4日間をレポート的にお届けする。

まず、手短にフライブルグという街について。ドイツ南西部、フランスとの国境沿い位置し、人口は約23万人、面積は約150㎢とコンパクトな都市で、エコポリス「環境都市」としても知られている。その発端は、1970年代に程近い街のヴィールで原子力発電所の建設反対の運動からとのことで、その後は環境問題全般にも意識が高まり民間と行政とで現在の街づくりに進んでいったという。
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街の中心にあるフライブルグ大聖堂


DAY1_

初日は、トラム(路面電車)に乗ってフライブルグの新市庁舎の視察へ向かった。このトラムが市内を巡っており、どこへ行くにも便利だなと思っていたところ、交通政策の一つだそうで、トラムを優先させることにより車依存を抑え、公共交通や自転車を促進させ、排ガスや騒音といった公害を抑制しているそうだ。
IMG_0132 市内を走るトラム

新市庁舎では、70年代の原発反対運動にも関わった、ドイツ風力エネルギー協会のErhard Schulz(エアハルト シュルツ)さんが説明をしてくれた。外観に貼ってあるソーラーパネルは、太陽の位置に合わせて可動し、室内のブラインドやLED照明も自動で調整されるとのこと。また、トラムのラインが交わる場所に立地し、職員には公共交通や自転車を推奨し、施設内に駐車場はあるが職員の利用も有料とのことで徹底されていた。
IMG_0134 IMG_0138 フライブルグ市庁舎とErhard Schulzさん(写真下)

その後、フライブルグから30kmほど離れた“ヴィール”へ。ここでは、自然食品や有機無農薬食品を扱う卸メーカーのRINKLIN社にて、冷蔵用のソーラーパネルや蓄電池についての話を伺った。3haほどの敷地内にある施設の屋上のほとんどにはソーラーパネルを設置。これまで、冷蔵施設の電気代が30万ユーロ(3750万円)かかっていたが、現在では18万ユーロにまで削減でき、自家消費率を4割まで高めることができたとのこと。太陽光発電の導入のきっかけについて、経済的な面か、環境的な面かのどちらかという問いに代表のリンクリンさんは「経済的な話と、環境の話は別で、利益が出たら会社のために投資するという社訓のもと、自然食品を扱う会社として持続可能な社会へと転換させるため、少しずつ自社施設の屋根に設置してきました」と話してくれた。

IMG_0156 RINKLIN社

IMG_0158 IMG_0161 施設の屋上に設置されたソーラーパネル。冷蔵トラックに取り付けているものも見える

IMG_0159 左より、村上さん、リンクリンさん、シュルツさん


次に訪ねたのは、太陽光発電の取り付けを行う工務店SCHWORER社。ここでは取り付け事例の説明を聞いたり、テラスの屋根にパネルを取り付けた電気ステーションを見学したりさせてもらった。最後に村上さんの自宅にて太陽光発電の自家消費についてのレクチャーを受けたあと、参加者の懇親会にて初日は終了。
IMG_0174 IMG_0180 IMG_0179 SCHWORER社。オフィスの前にある電気ステーション






DAY2_

2日目は、フライブルグより東へ車で1時間45分ほど行ったところにあるジンゲンという街のSolar Complex社を訪問。ドイツにおける電力全般的な話を広報のガウカーさんがしてくれた。印象に残っているのは、ドイツでは原子力発電の終了法が施行され、2010年の時点では2035年までに原子力発電を終了させる予定だったが、2011年の福島第一原子力発電所の事故を受けて2022年までに前倒しの変更になったということと、2007年から2017年の10年間でドイツの再生可能エネルギーが、原子力発電を縮小させた分をまかなっているということ。
IMG_0227 Solar Complex社 広報のガウカーさん

その後、Solar Complex社が太陽光発電を導入した、有機無農薬の食材などを取り扱う卸商社okle社を訪問。ソーセージやクッキーなど商材を頂きながら会社概要や太陽光発電の利用状況などについて話を伺った。
IMG_0234 IMG_0235 okle社内でのレクチャーの様子




DAY 3_

3日目は、フライブルグより南へ車で1時間ほど走り、国境を越えスイスのバーゼルへ。まずは、VOLVOのディーラーなどを営むCENTRA GARAGE AGに向かった。日本にもVOLVOの販売店はあるが、見たことのない黒で統一されたファサードに違和感を感じつつも、この視察も3日目となればソーラーパネルかと察しがついた。この外観を提案した建築家のベルナー・ヘッターさんは「VOLVOにはコーポレートアイデンティティがありますが、思いのほか気軽にOKが取れました。VOLVOの中では例外であったけれど他店でも採用されることになりましたし、バーゼル市内でも先行した事例でしたので、後にホテルなどでもソーラーを取り入れるところが出てきました。ちなみに使用しているパネルは、表面が美しかった日本製のものです」と話してくれた。
IMG_0262 屋上に設置するよりも出力が劣るものの約70%の電気をまかなえているという
IMG_0263 レクチャーの様子。ベルナー・ヘッターさん(写真右)


その後、Bad Bubendorf Hotelのミーティングルームへ移動し、ADEVという市民による再生可能エネルギーの協同組合のアッペン バイラ―さんよりレクチャーを受けた。個人の出資により風力、水力、太陽光などの持続可能で環境に良い発電設備を実現させてきた組合で、発足は電気の買取制度もない1985年からとのこと。当時から、このような考え方を持っていたんだなぁと感心していたところ、こちらも発足のきっかけは近隣に計画のあった原子力発電所の反対からだったからだと。
IMG_0288 大学や企業の“合宿ミーティング”にも利用されるという緑に囲まれたホテル

IMG_0284 ADEVのレクチャーの様子



DAY 4_

最終日は、フライブルグからすぐのヴァルトキルヒという街にある森林散策からスタート。シュバルツバルト(黒い森)と呼ばれる森の中を歩きながら、持続可能な森林づくりについて、在ドイツのMIT Energy Visionの池田憲明さんにレクチャーを受けた。行政が管理する、この森では保養と森林業を同時に行われている。植樹せずに木を育てたい場所に種を落とさせ、苗木を育てるという、聞くだけでは不思議なシステムを採用していたが、200年ほど前に農家の人が考えついた間伐によって日光を調整し種を落とさせる、持続可能な森林づくりの方法とのことだった。次の世代、その次の世代までと続く長い森林の作り方だ。1890年頃、“公園の父”としても知られる故・本多 静六(ほんだ せいろく)がドイツに留学し、この森林づくりを学んで日本に持ち帰って広めたという話も聞いた。現在の日本でこの方法で森林を育てているのは、伊勢神宮と明治神宮ぐらいと伺い、なんとなく納得。持続可能(SUSTAINABLE)という言葉は、ドイツの森林づくりから生まれたそうで、ドイツ語ではNACHHALTIGという。その言葉が印刷された木を測る時などに使用する折りたたみ定規を記念に頂いた。
IMG_0310 シュバルツバルト(黒い森)。木々が密集し森の中が暗く見えることに由来するという

IMG_0306 光の調整で種を落とし、新しい木を育てようとしているエリア

IMG_0399 “NACHHALTIG”折尺。こういうお土産はうれしい


その後、この地域で太陽光発電などを扱う工務店braunを訪問し、使用するシステムやメーカーの話を聞かせてもらった。午後は、フライブルグの街に戻り、ECO-Wattという教育機関など公共施設における電気の無駄遣いをなくし、省エネ化を進めるコンサルティングのレクチャーを受け、実際に導入した学校を訪問。学校内には自動照明を取り入れるといった設備面だけではなく、子どもたちも一目で分かる電力の使用量や太陽光の発電量などを掲示したパネルがあり、省エネ期間を設けクラスで楽しみながら競うイベントを行なうなど、施設に関わる人がみんなで取り組めるようになっていた。最後に、子どもたちが学校で体験したことを家に帰って話し、省エネの輪が広がっていくということも聞かせてもらった。
IMG_0332 IMG_0334 工務店braunにて。事務所に取り付けたパネルや蓄電池なども見学

IMG_0342 ECO-Wattのレクチャー。学校に導入した8年での回収モデルについて話を聞く

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ECO-Wattによる省エネプロジェクトを導入した学校を視察




視察を終えて
自分の住む福岡市もコンパクトな街と言われているが自治制度も異なるので比較するのは、ひと言では表現できないが、フライブルグの街は原子力発電所建設の反対から始まり、環境に対しての様々な取り組みが良い形でつながり、時間をかけて街が形成されていったのではないかと思う。また、スイスのADEVもそうだったが、 “反対”だけをするのではなく何ができるかを民間で考え出し、随分と昔から実行しているのには驚いた。街の話に戻し、自分に目を向けてみると小さなことではあるが、福岡の街中は移動に便利だからと自転車をよく利用している。ただ、それは個人の“便利”なだけであり、フライブルグの街が掲げるような交通対策とはリンクしていないことに気づかされた。そういったことは他の場面でも当てはまるのではないかと思う。街づくりに携わるような仕事しているわけではないが、今後の街づくりをしていくにあたって、普段の行動が自然な形で様々な問題の解決にリンクできるようなグランドデザインを考えつくことができれば、次の世代へもつないでいきやすいのではないかと、福岡に帰ってきて感じた。

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