DAYS_

Mitsutoshi&Tomoko Takesue

せんぐりせんぐり生まれてきおる。

IMG_9160 先日70歳なりまして、まあ変わらずつべこべ言いつつ暮らしています。みなさん元気ですか?映画観てますか。小津安二郎は好きですか?
 小津の映画の中で、ぼくは『小早川家の秋』(1961年)がフェイバリットです。いつもの「松竹」ではなく、「東宝」という都会派娯楽系の映画会社で、いわばアウェイで撮った異色作です。根っからの江戸っ子である小津が、関西を舞台にしただけでも「アレ?」なことなんですが、”東京の粋”の見本みたいな小津が撮った異郷の映画というわけで、ソソられずにはいられないのです。
 冒頭、難波の昭和レトロなバーで、原節子演じる未亡人(画廊経営)に、小さな鉄工所の社長役の森繁久彌が「なんぞエエ牛の絵おまへんか、ぼく丑年ですねん」と迫るシーンから目が離せません。仲を取り持つ役は加東大介。そう、『社長シリーズ』でおなじみのふたりを、小津は自分の映画でちゃっかりパロっているわけです。それにしても森繁のエゲツナイ演技、特にピーナッツをポンと口に放り込む仕草はさすがです。因みに、小津は森繁のアドリブ演技が嫌いだったらしく、それを逆手にとったわけで、大阪生まれの森繁久彌ならではのキャスティングなのです。
 そしてこの映画の見どころは、京都の老舗造り酒屋である小早川家の隠居を演じる中村鴈治郎。上方歌舞伎界の花形役者で中村玉緒の父であり、勝新太郎の義理の父でもある彼の演技と所作がすばらしい。そのうえ、小津の細部にまでこだわって設えられた町家や室内での映像は、ため息が出るほど美しく、あの「桂離宮」にも通じる美意識が横溢しているかのようです。桂離宮といえば、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトによって発見され、その後「日本のモダニズム」を表す建築物といわれることになりますが、ぼくには、当時の日本がナショナリズムへ向かっていた時代の現れだったような気がします。あえて「日本の」というより「京の」という形容詞のほうがピッタリくるのですが。
 それはさておき、零落してゆく商売をよそに、洒脱な浴衣の着流し姿で京の路地をひょうひょうと歩いて昔のお妾さんのところへ通う鴈治郎の可笑しみ。そして、映画の中で幾度か繰り返される台詞「まあエエ、しゃあない」。まさにスノッブな京都人そのもの。結果、ある日その妾宅で息を引き取るのですが、最後の言葉がいい。「ああもうしまいか、もうこれでしまいか」というもの。蛇足ですが、その最期の様子を伝えるお妾さん役の浪花千栄子の演技も怖いくらい。小津は二度とこの女優を使うことはなかったとか。いやあ、浪速のおなごをやらせたら、右に出る人はいなかったわけです。
 この映画で一番有名なのは、最期の火葬場のシーンでしょう。煙突から立ち上る煙を見上げてつぶやく農夫役の笠智衆のセリフは、小津が自分の墓に残した「無」という文字につながるものかもしれません。「死んでも死んでも、せんぐりせんぐり生まれてきおる」。虚無主義とは、案外ユーモラスなスタイルなのかもしれません。重い映画ではないので、機会があったらぜひご覧ください。





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