DAYS_
ビザなしで行くロシア、その2
September 05, 2015 /
ヴィープリの中心にあるホテルの部屋に足を踏み入れた途端、ホルマリンとタバコが混じったような匂いがするではないか。しかし不潔感はなく、経年したベッドや地味な椅子は (どちらかといえば) 好みだし、電気式蚊取り器も置いてある。煙草を吸おうとテラスに出ると、6階なのにアバウトな申し訳程度の手すりがあるだけでスカスカ、中庭の地面が迫って見える。はやくも理解不能な空気感。
さっそくアアルトの図書館へ行こうと、ホテルを出る。歩いて10分ほどの距離だが目に入るものがとにかく年代物ばかり。ガタピシ音を立てる自動車が、舗装道路の破れに出来た水たまりの水を撥ねながら走っている。灰色したグルーミーなビルの窓は小さくて、おまけに判読不能なロシア文字だらけで、いったい何屋なのかわからない。なかには廃墟同然のビルもある。だだっ広い広場にもやはり水たまりがあり、遠くにブロンズの立派なレーニン像が建っている。昔はここで大集会なんかをやっていたのか。図書館はその広場の横の公園の中に、つまりあるべき場所にあった。近づくと「今日は閉館かな?」と疑うほど内部が暗い。だが、ポツリポツリと人が入っている。節電なのだろうか。それにしても、真っ白でモダンな建物は、完全にまわりの風景とはかけ離れた風情だ。
アルヴァー・アールトがこの図書館を設計したのは1927年。それまで模索していた「新古典主義」と呼ばれる、ギリシャやローマなどの洗練された形式美の再発見から「モダニズム」へと移行した時期であり、ほぼ同じころに設計された「パイミオのサナトリウム」と同様、”公共施設”である。ただし、アールトのそれは、味気のない箱モノではなく、さまざまな工夫とウィットに富んだ自由をぼくらに与えてくれる。この図書館には、その後のアールト建築で花開くさまざまな意匠が随所に発見できる「玉手箱」なのだ。つまりぼくは浦島太郎なのだ。
この図書館が完成したのは1935年、ヴィープリがまだフィンランド領だったころ。その後第二次世界大戦で一部損壊し、終戦後ソヴィエト領となったあとは、修復もされずに荒廃してしまった。”公共”を重視するはずの社会主義国が名ばかりであったということだ。ところが、ロシアとして再生した資本主義(的)国家は、1993年になってこの「モダニズム建築のアイコン」をフィンランドと共同で復元計画を発表、20年をかけて2013年にお披露目となった。歴史に翻弄されたようでもあるが、レキシをホンロウしつつある建築ともいえる。
夕方の船の時間の前に、昼ごはんを食べようかと食堂へはいった。もちろんボルシチとロシア漬けだ。食べ終わって外に出て、煙草に火をつけると、通りの向こう側からウツムキカゲンの若者が近づいてきた。てっきり一本セガマれるのかと早合点したが、彼は指でライターを付ける仕草をした。ぼくがポケットを探って差し出すと、自分のタバコに火をつけたと思ったら無言でソソクサと立ち去っていった。てっきり『罪と罰』のラスコーリニコフかと思った。