DAYS_

Mitsutoshi&Tomoko Takesue

「ゆっくりお入りください」

Eileen_Gray女性の建築家といえば、シャーロット・ペリアンを除くと、妹島和世かザハ・ハディドしか頭に浮かばない。アーキテクトも「男性優位」な職業なのだろうか。ところが、前世紀初頭に、あっと驚くような女性建築家がデビューしていた。アイリーン・グレイである。ただし、彼女は建築家というよりデザイナーと呼ぶほうが正しい。それも、寝室の内装デザインがきっかけだったという。
時は1920年代、アイルランド生まれのグレイは、ロンドンの美術学院を経て、パリで芸術学校に学び、日本人の漆工芸家と出会い、自らも漆を使った作品を発表、そのエキゾチックな家具や調度品が評判を呼び、ブティックをオープンする。名前は”ジャン・デゼール”。「砂漠の、あるいは見放されたジャン=ヨハネ」の意味とのことだが、あまりにヨーロッパ過ぎて、ぼくには意味不明。それらの作品は、一見すると当時全盛のアール・デコ風なのだけれど、単なる「デコ=装飾」を越えようとする、上野千鶴子的にいえば「当事者」感覚に満ちていた。それもそのはず、グレイはキュビズムやデ・ステイルなど、まったく新しい芸術運動に傾倒していたのだから。
彼女が設計し、E1027と名付けたヴィラはモナコのすぐ近く。依頼したのは前衛的建築雑誌の編集者であるジャン・バドヴィッチ。建築に関しては素人同然だったグレイの才能に惚れ込んだ彼はコート・ダジュールに”小さな隠れ家”の設計を任せたのだ。そして出来上がったのは、モダニズムのエスプリにあふれた家。あの傑作といわれるサヴォア邸ができる直前のことである。これにはモダニズムの巨匠コルビュジェも驚いたにちがいない。
それを物語る有名な逸話がある。かねてからバドヴィッチと仲が良かったコルビュジェはE1027を頻繁に訪れていて、滞在することもあったらしいのだが、グレイの留守中の白い壁に、なんと無断で絵を描いてしまったのだ。以前から雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』の愛読者であり、コルビュジェにシンパシーを持っていたグレイだが、この一方的なコラボに唖然とし、憤慨したことは想像に難くない。特にその中の一枚、ピロティ部分に描かれた豊かな乳房も顕な女性たちが絡みあう壁画が問題だった。
IMG_7192アイリーン・グレイが同性愛者だったことは、ある意味で周知のことだっだ。さらに憶測すれば、今的にはLGBTの人だったのかもしれない。なぜなら、彼女のデザインは、そんな当事者としてのリアルなニーズから生まれたような気配があるからだ。上野千鶴子によれば、「ニーズをつくるということは、もうひとつの社会を構想すること」と同義であり、「私以外のだれも、国家も、家族も、専門家も、私がだれであるか私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である」というなのだ。それにしても、コルビュジェの行為は、たとえグレイを揶揄するつもりで壁画を描いたわけではなくとも、”軽薄”だったといわれてもしかたがない。ま、そんな人間臭いコルビュジェも、嫌いではないけど。
さほど広いとはいえないこのヴィラで、グレイのニーズをストレートに反映しているのは、やはり寝室だ。そこは、リビングとベッドルームを兼ねた今で言う「ワンルーム」。玄関を抜けて、まずそこに通されたゲストたちが出会うのは「同性愛者の密室」とは似ても似つかぬ開放的で自由な空間だ。側面全体のガラスを通してまぶしい南仏の光が差し込み、扉を開けるとデッキのようなテラスの下方に真っ青な地中海が目の前に広がっている。ひよっとするとこの家は、差別がない「もうひとつの社会」である「海」への長い航海をするための小船だったのかもしれない。E1027の寝室への入り口にはたしか、小さくこんな意味のことが書かれていたっけ。「ゆっくりお入りください」。
1950年代に引退したグレイは1976年パリのアパルトマンでこの世を去った。98歳だった。
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