GOOD VACANT

表現方法のど真ん中を探して

Photographs by Ittoku Kawasaki / Words,Edit by Masafumi Tada

福岡市中心部の大規模な開発をはじめ、新たなスポットのオープンが続くなど、街の変化を感じる昨今。そのような中でも、独自の視点や考え方を持って変わらず続けているお店や場所が福岡には多くあり、街の魅力を担っている。西鉄・平尾駅から数分のところにあり、築80年ほどの古民家や長屋が集まる一帯に佇む『二本木』も、そういう場所の一つではないかと思う。現在はギャラリーとして、写真や土器、皿などさまざまな展示企画を、床は土間、壁は土、天井は竹といった空間で行っている。どの展示も二本木の空気感のようなものがあり、振れない軸を持っているようにも感じる。今回は、二本木の松尾慎二さんに、自身の作家としてのこと、二本木のことなどを聞かせてもらい、その魅力を探ってみた。




CENTRAL_(以下C):まず最初に松尾さんのことを聞かせてください。現在の主な活動内容は?

松尾 慎二さん(以下S):いまは、二本木の運営と企画をすること、二本木で展示企画をしていない期間は、額装の依頼を請けたり、木工でカウンターを作ってほしいという相談をもらったりしています。大々的に募集しているわけではないんですけど、知り合いをとおしてという形で、自分ができる範囲でできることをするという感じでやっていますね。木工のほか、土器作りなど作品の制作もしています。

C:いつ制作活動を始めたのですか?

S:2004年ごろに、大分県のくじゅうから福岡へ出てきて、飲食店などでアルバイトをしながら絵が好きで10年くらい描いていました。そのアルバイト先の先輩でクラブへ行ったり、ライブペイントをしたりする方や、亮平(佐々木亮平さん)と知り合って、自分もライブペイントをしたり、フライヤーを作ったりと絵を生かせる場所で、どっぷりと浸かっていました。

20221010_2hongi00001 松尾 慎二さん


C:木工を始めたきっかけは?

S:絵を描いていたころに福岡市・南区の『工房まる』というところでも、3,4年ほど働いていたんです。ここは障害を持っている方が通われているところでアートに力を入れている作業所なんですけど、僕はここの木工班の担当になったんですよね。木工はしたことがなかったのですが、仕事が終わって残って色々と木工をやっているうちに僕の方がはまってしまって、それから木工とかクラフトにも興味を持ち始めました。

C:以前、佐々木亮平さんにインタビューした際に松尾さんについて「絵を描くのやめ、モノをもっと広く観るようになった」と話していましたが。

S:あとから記事を読んだのですが良い感じに言ってもらっていましたね(笑)。2015年に福岡市・薬院の『シゲキバ』で、初めて絵の個展をさせてもらったのですが、その展示を期に心境の変化があって、いったん絵を描くことから離れたんです。初めて設営して空間に作品を置いた時、絵もパーツの一つだなと思ったんです。それまでは、絵の中の世界だけだと思っていたんですけど、空間の中のそれだと思ったら、意外と絵と物が対等に見えたというか、例えば空間の中ではかっこいい椅子と絵が一緒というか。今まで、自分の手元だけで見ていた絵を外に出して飾ったこともなかったので、外に持ち出して展示してみて、考え方が変わったといいますか。

20221010_2hongi00069 個展当時の作品


C:絵から離れた後はどうしていたのですか?

S:自分自身の制作活動をやめたとか、そういうことではなく、その時は表現方法として絵がしっくりこないと感じ、自分の表現方法を見つけるには長期戦になりそうだなと思っていました。このままアルバイトを続けながらでは無理だと思い、生活の最低限のお金を稼ぎながら、そのほかの時間で表現方法を見つけるのに、自分でできる仕事は何かと考えたんです。

その頃は、リサイクルショップなどをまわって、中古の家具を見つけたり、いろいろな物を集めたりして空間を飾るのが好きだったので、古物商だったらできるのではと思ったんです。独立するにあたって古物商のことを学びたかったというのもあり、個展を開催した翌年の2016年はリサイクルショップで働きました。そして、2017年に古道具屋として『二本木』をオープンしたんです。当時は、椅子や机といった家具、陶器、古い時計、絵画などを置いていまして、今とは内装が違っていまして店内に段差もありました。

2hongi.001 当時の店内の様子(松尾さんより写真提供)


C:この場所を選んだきっかけは?

S:知人を介して、ここを管理する不動産を営む新村さんを紹介してもらいまして、郊外でも田舎でもいいので、家具のリペアなど作業ができるような倉庫が借りたいんですと相談したのですが、この場所を提案されたんです。

C:この一帯は通称・平尾村とも呼ばれていますが、どのような場所ですか?

S:戦争中、このあたりは焼け野原になっていたようでして、80歳くらいになるここの大家さんのお父さんが大工さんで、戦後に人が住めるようにと長屋や住居を作ったそうなので、築80年くらいになる建物が残っています。今は古民家と長屋で12戸ほどが残り、コーヒショップや植物の店、飲食店などがあり、近くアウトドアショップもできるそうです。戦後から変わっていない景色が残り、地面が土であるところとか、昔の日常の風景が今では異世界にいるような感じがしますよね。

20221010_2hongi00091 マンションに囲まれる”平尾村”


C:今の内装にした経緯はなんだったんですか?

S:一年くらい経つと飽きるというか、自分の集めたものが沢山あるじゃないですか、自分の趣味趣向が変わりやすく、その時に一番アツいなぁと手に入れたものも、ごちゃごちゃしたところ(お店)に持ってくると、なんか違うなぁと思ってくるようになり、ちょっと保留しようみたいな感じになり、一年間、お店は閉めたんです。

少し長くなりますが、その一年間の中で今のスタイルになるきっかけがあったんです。何気なく、NHKのテレビ番組『100分de名著』を見ていると、その回が 岡倉天心の『茶の本』についてだったんですが茶室の話があって、茶室って”すきや”建築と言いますよね。よく目にする漢字は”数寄屋”なんですけど、3つの意味合いがあって、”好き家”と書いて店主の趣味趣向によって作られた建物、もう一つは”空き家”と書いて”すきや”と読むんですけど、それは茶会がある時にお客さんに合わせて設えて、終わったら空っぽにしてみたいな内容で、すごく格好いいなと感じて、これかなと思ったんです。飽きても、一回空っぽにして、その時にしたいことをして、また空っぽにしてみたいな。それで、”いい空っぽ”を作りたいと思いました。自分が飽きても、どう変わっても、”いい空っぽ”さえあればいんじゃないかと思い、だから最初からギャラリーを作ろうというわけではなかったんです。そこからは、空っぽをつくることで頭がいっぱいでしたね(笑)。

20221010_2hongi00029

C:どのようにして改装を進めたのですか?

S:作りながら、どんどん考えていったんですけど「引き算、引き算」で、備え付けで何か作りたくなっても我慢して、「空っぽ、空っぽ」みたいな感じで床や天井を抜いていきました。床は、田舎の民家などでみられる土間のたたきって言いまして、友達8人くらいで土に石灰を混ぜてひたすら叩いて固めました。天井の竹は、大分の実家に帰って家の周りで集めてきたものを使ったりと、お金をかけずに身の回りのもので、昔の方法というか、そういうことは考えていました。壁は、下地は自分が作ったんですけど、この壁を塗るくらいの頃に独立された「藤井左官」の藤井さんという方が塗ってくれました。最初は土壁にしようと考えてなかったのですが藤井さんとの出会いがあって、すべて土壁にすることにしました。土は淡路島と山口県の土を合わせて、すさという植物を混ぜたものを塗っています。この古民家を改装する際に貼ってあった壁板を壊したんですけど、その奥から土壁が出てきたので、ある意味、元に戻した感じがあるというか。どこまでやったら改装を終わらせていいか分からなかったのですが、天井に竹が入って全体が自然の素材でまとまった時に、”空っぽ”ができたかなと思いました。

20221010_2hongi00042 土間のたたき

20221010_2hongi00043 土壁

20221010_2hongi00037 天草から持ち帰った木目石を基礎石に

20221010_2hongi00052 天井には自ら切ってきた竹を使用


C:空間は今のスタイルになりましたが、内容はどのように決めたのですか?

S:改装していた時に、アーティストの生島さんがふらっと遊びに来てくれて、この場所で作品の展示をしてみたいと言ってくれまして、その流れで、リニューアル後の最初に個展をしてもらいました。ただ、ギャラリーを作ろうと思っていたわけでもなかったので、リニューアルして一年くらいは、自分からギャラリーとは言えなかったです。自分の古道具などを期間を設けて展示・販売することもありましたが、ここに来てくれる人との出会いの中から次の展示が決まっていくというような感じです。多くの面白い方との出会いのおかげで、展示企画が続けていけていますし、楽しいですよね。よく考えるとこれって、ギャラリーということだと思い、今は対外的にも説明しやすいのでギャラリーと言うようになりました。お茶はしないので、ちゃんとされている方からは違うと言われるかもしれないですが、一つ何かをして空っぽにして、また違うことをする、そういう意味での”すきや”(好き、空き)みたいな感じとか、”空っぽ”という考え方はベースにありますね。

20221010_2hongi00006

C:改装中はそれどころではなかったかもしれませんが、その間自身の制作活動はされていたのですか?

S:リニューアルしてすぐ、2020年に入ったので緊急事態宣言中は土器を作っていました。自分の中で物集めの終着点みたいなものがありまして、それが弥生時代の土器で、それを買ったんですよ。これ以上、欲しいものはなくなって、そしたら作ってみようと思いたち、紙ねんどをいっぱい買ってきて作ってみたら、意外といけそうだなと。弥生土器と似たような形でできたんですよね。多分、弥生時代の人たちも右利きが多かったと思うんですけど、土器が右に傾いているところとか。

二本木で展示をすることになっていた畑中 咲輝さんに作った土器を見せたところ、一緒に展示しましょうということで、ここで展示もさせてもらいました。いまだに土器作りはしていますし、ずっと続けると思うんですけど、それが自分の表現方法のど真ん中にきているのではないんですよね。

二本木アーカイブ00008 二本木アーカイブ00001 火入れの様子と制作した土器


C:二本木の展示の仕方や考え方について聞かせてください

S:いろいろな作家の作品集や画集など本を観るのが好きなんですけど、作品自体の写真を観るよりも、その作品が作家のアトリエなのか、どこかの空間に展示されている写真を観ると高揚するんですよね。ホワイトキューブでの展示は作品をいかに見せるかだと思うんですけど、土壁に展示すると空間に馴染む感じがあるんですよね。作品を感じながらも、作品のある空間を感じてもらいたいとは思っています。展示の仕方に関しては、作家さんと一緒に進めることもあれば、こちらに一任されることもありますね。これまで、写真、土器、器をはじめ、植物、グラフィティ、時にはベッドを置くということもありましたが、全部溶け込むんですよね。展示するものによって時に良い違和感とかが生まれるかなと思うこともあるのですが、結果馴染んでいるように思います。

二本木アーカイブ00026 nihogi.001 nihogi.002 nihogi.003 二本木アーカイブ00050 過去に二本木で開催された展示企画の様子




20221010_2hongi00031 20221010_2hongi00056 二本木の空気感と振れない軸ようなものがあると感じたのは、この”いい空っぽ”という空間であり、ある意味で”いい空っぽ”という作品ができたからでないかと話を聞いてきて思った。この空っぽの中でコントロールされずに生まれる調和のようなものを、ここで体感できるのではないかと。時間はかかるかもしれないが、この場所が根っこのような存在になればと松尾さんは話してくれた。福岡に住む方が作品を購入し、作家が生活できるようになっていくための根っこのような場所。自分の表現方法を探す中で場所が生まれ、そして経験してきたことなどをとおして、自身の作品として今してみたいということも見えてきたとのこと。




S:こんど11月26日から7年ぶりの個展をすることになったんです。場所はアートコレクターのご夫婦が春吉にオープンされたOHA/IOOというギャラリーで、絵と木工の間のような、平面なのか立体なのかといった作品を展示します。自分の中で今までしてきたことと、今したいことが合流したので、今の感じを出したいと思います。


20221010_2hongi00078






SHINJI MATSUO | 松尾慎二 作家名義:SYOJI
1985年大分県生まれ。2003年ごろ、福岡でライブペイントなど絵を描く活動を行う。2015年、福岡市・薬院の「シゲキバ」で初の個展を開催。2017年、古道具屋『二本木』を平尾にオープン。古道具や家具の販売、アーティストの展示企画を行う。2019年、改装した『二本木』でリスタートし、さまざまな作家・アーティストの展示企画を行う場所となっていく。2022年11月、福岡市・春吉の『OHA/IOO』にて7年ぶりとなる自身の個展を開催予定。ギャラリー『二本木』の企画・運営を行うほか、土器作りや木工、絵などの制作活動も手がける。
Instagram:@sssyojiii @2hongi

SHARE :