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アルプのエスプリ
July 04, 2015 /
夫婦というものは、なかなか大変である。最初は「惚れた腫れた」で結構だが、時を経るとお互いを空気みたいに当たり前として済ますか、酸欠状態になって破綻するか、のどっちかになることも多い。いつまでたっても仲良く、とはなかなか行かないものなのだ。芸術家のカップルはどうだろう?互いの才能がいい具合に反応しているうちはいいが、いったんそれがぶつかり合うと、かなりシビアな状況になってしまいそうだが。
1886年、ドイツ人の父とフランス人の母とによってストラスブールに生を受けたハンス・アルプが、トリスタン・ツァラと一緒にダダイズム運動を始めたのは第一次世界大戦直後の1916年。史上初の国民国家間の全面戦争という事態に対抗する運動が、芸術家によって組織された、これも史上初の事件だった。詩人だったアルプが、後に彫刻家として名を成すきっかけとなったのは、スイス人彫刻家ゾフィー・トイバーとの結婚。言葉による既存価値否定より、形をともなうほうがパワーアップするに決っている。あのグニャっとした有機的な彫刻が、その後の抽象芸術の誕生を告げてしまったきっかけは妻の影響だったのか。
そんなふたりがパリ郊外に建てたアトリエ兼住居を訪ねることができた。石壁がフランスっぽい3層長方形の小ぶりな建物は、真っ赤な窓枠にモダニズム趣味がうかがえる。内部はアルプの軟体生物みたいな彫刻がいっぱい。そんななかで異彩を放つのがトイバーがデザインした家具。スタックされた直線的な”単なる棚”は、一切の虚飾を排したかのような直感力に満ちていて男性的ですらある。いや、安直な物言いはよそう。「男は強くあれ、女は…」などという差別的言説がいかに不毛であるかは、ニッポンの現政権を見ればわかること。男だろうが女だろうが、一番影響を受ける他人としてお互いを見ることが肝心なのだ。しかし、そんなふたりのパートナーシップは、トイバーの不慮の事故死で唐突に終わりを告げることになる。傷心のアルプは4年間、修道院に入り詩作だけで妻の弔いで時を過ごすが、その後幸いにも仕事に復帰を果たし、彫刻作品を精力的に作り続けている。以下に転載する1961年の詩には、ハンス・アルプのエスプリが集約されている気がする。
いつの日か僕たちが
遠くに大いなる美があると
見えたような気がする日が
来るかもしれない。
いつの日か僕たちが
欠けることのない星々と
枯れることのない花束と
バラに満ち溢れた虚無と
色褪せることのない日々と
いつまでも変わらない永遠と
ともに歌う日が
来るかもしれない。