DAYS_

Mitsutoshi&Tomoko Takesue

身につけるわけでもない貝殻に興味を持った結果。

カウアイ島へ行ってみました。ハワイ諸島では最北に位置し、火山の隆起によって最初に出来た直径50kmほどの島です。東北側はいつも強い貿易風が吹いています。この風に乗ってやってきた西洋人で、はじめてこの島を発見したのがキャプテン・クックというわけです。
彼の銅像が小さな広場にポツンとあるワイメアは、国道沿いに古ぼけた西部劇のセットのような店がパラパラあるだけの、昼寝をしているような町。そんなレイドバックしたストリートに”COLLECTIBLES&Fine Junque”という看板の店を発見。たまらず、潜入。「収集品と優れたガラクタ」という名の通り、店内にはハワイらしいマルティ・カルチュアルで古ぼけた品々が一杯。若いころはきっとコニー・スティーブンスみたいにラブリーだっただろうと思われる白人のオバアちゃま店主が、キュートな英語でアレコレと丁寧に説明してくれるからうれしい。奇麗な石でできたフルーツと古い手吹きのガラスびんを購入。探していた”ニイハウシェル”はなかったけど「コレククターを紹介するわよ!」と言ってくれました。そのうえ別れ際に、これよかったらプレゼント、と司馬遼太郎のハードカヴァー本3冊セットを差し出されてビックリ。IMG_6524 「貝殻の宝石」といわれるニイハウシェルは、はじめて訪れたマウイ島のアンティック屋で遭遇して以来、気になって仕方がないシロモノです。直径はたった2~3ミリ、小さく美しい貝殻はニイハウ島という、あるイギリス人が1864年にカメハメハ5世から、ピアノ1台と 10,000 ドルで買い取った小さな島でしか採れないと聞き、俄然興味が湧いたのかも。ところがその島は部外者は上陸禁止なのです。島民は所有者一家とそれを支える日系人の子孫を除けば全員ハワイ人だけ。現在もハワイ語を使用し、古来からの伝統的な生活を送っているらしく、いわばコミューンなのです。砂粒ほどのシェルは、見つけるのも一苦労ですが、粒を揃えて独特の手法で編み上げてレイ(ネックレス)やブレスレット、ピアスなどに仕上げるのにはとても手間ひまがかかるといいます。緑豊かなカウアイ島とは違い、乾燥したニイハウ島では、自給自足の生活をささえる、大切な収入源でもあるのです。今回は、そんな精緻でさまざまな表情を持ったニイハウシェルをめぐる旅だったともいえます。
そして、日本に戻ってから知ったニイハウ島にまつわる話があります。なんと、真珠湾攻撃の際、被弾したゼロ戦がニイハウ島に不時着したという事件があったのです。電話も電報もない島ですからオアフ島が突然日本軍の空襲を受けたことを島民は知らない。何が起こったのか、英語を知らない日本兵と、ハワイ語しかしゃべらない島民とのコミュニケーションは、島の日本人に頼らざるをえなかったようです。そのうちに、事態が明らかになり、アメリカと日本が戦争状態に入ったことがわかってくる。そして、ゼロ戦に残っていた暗号書類などを守ろうとした日本兵と島民との間に諍いが起こり、結局彼は殺されてしまいます(一説には自殺という説もあります)。事件後、通訳の役目をしたニイハウ島の日系人は「アメリカではなく日本の味方をした」ということで「敵性勢力」として見られてしまうことになります。そしてそれは、その後ハワイ全体の日系人へとその影響が及んでゆくことの前兆だったのです。
そんなわけで、自分が身につけるわけでもない貝殻に興味を持った結果、ハワイという”楽園”に埋もれた戦争の足跡に触れることになったのです。DSC09219

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