DAYS_

Mitsutoshi&Tomoko Takesue

フランス語ではコミュヌ

コート・ダジュールのデザインを巡る旅は、マルセイユからグッと内陸に入った田舎で終わった。予約したB&Bは、車1台が通れる細い道路の両側に石造りの農家が並んだちっぽけな、それでも一応れっきとした「村」らしき集落の中にあった。明るいうちに着きたかったのだけれど、結局日が暮れてしまい、宿をさがすのにちょっと手こずった。そこは、骨董屋やブロカントの町として知られたリル・シュル・ラ・ソルギュから車で15分くらいなのだが、村の名前は忘れてしまった。なにしろ、このあたりがリュベロンと呼ばれる人気の地域であることを、日本に帰ってきて知ったくらいで、プロヴァンス地方には馴染みがなかった。IMG_2267 築400年の古い農家を改装したB&Bのマダムは50代後半だろうか、短髪で”きりり”とした闊達な感じの人である。案内された小さな部屋には彼女が描いたという、ユトリロを抽象的にしたような3枚の絵が壁にかかっていて、彼女の趣味が伺えた。夕食前だったので、ここらで食べれる場所を尋ねると、すぐ近くにオーベルジュとピザ屋があるということ。さっそくオーベルジュへ行ってみると、若いアベックだけで暇そうだったが、そのうちにちょっとお洒落をした小母さん4人がハグ&キスをしてお互いの近況報告をはじめた。アベックの席もいつの間にやら仲間が増えてワインを飲んでいる。ここは多分、村を代表するレストランにちがいない。ぼくはロゼワインとチキンを頼んだ。値段も手頃で旨かった。
翌朝、マダムお手製のジャムやパンを食べながら、彼女が階下のスタジオでは絵画教室もやっていること、旦那さんが企業向けの保険会社勤務で、TOKYOにも顧客がいるとのことなどを知る。多分、ここが気に入って移り住んできた夫婦なのだろう。食事を終え、そそくさとリル・シュル・ラ・ソルギュへ向かった。なにしろ今回の旅の買い付けの主戦場になるはずなのだ。ところが、フランス国内最多を誇るアンティック・モールは、ことごとく休みだった。なんと週末しか開けないらしい。下調べが足りなかったと何年やってもアマチュアな自分を恨む。ここは、いさぎよく運河と古い町並みをうろつくしかなかった。そして早めにB&Bに戻り、買い付けた商品の荷造りのため、雨の降る駐車場で梱包作業。最後の夜の晩餐はマダムが教えてくれたピザ屋で済ますことにした。IMG_2360 そのピザ屋は、村のコミュニケーション・センター内の半地下にあった。店内にはバーカウンターがあり、大きなスクリーンではサッカー中継という、典型的なスタイル。初老の陽気なオジサンがピザ窯担当で、その娘さんらしき人がホール担当という家族経営だ。店内では小さな子供が走り回り、若いパパがピザをパクツイている。ぼくらもキノコのピザと牛赤身のタルタル、そして白と赤のグラスワインを頼んだ。タバコを吸いに、外のテラスに出ると、若者2,3人とオジサン2,3人がお喋りの真っ最中。すると、オジサンのひとりが「中国人か」とたどたどしい英語で話しかけてきた。日本人であることを伝えると「ここはどうだい、気に入ったか」と尋ねる。「フランスには小さなコミューンがあっていいですね」と答えると、「えっ、なんだいそりゃ?もっと英語がわかるやつを連れてくるから」とのこと。するとタトゥーをした若者がやってきて「とにかく、都会はいやだね。俺はここが好きなんだ!」と満面の笑顔をみせる。IMG_2365 ある時に、アメリカのヒッピー達から教わった「コミューン」という言葉の由来が、もともとフランスだと知って驚いたことがある。それによると、コミューンとは地方自治体の最小単位を表す言葉で、日本のような行政上の市、町、村の区別はフランスにはない。つまり「都市」も「村」も存在しないのだ。人口80万人のマルセイユも、1000人程度のこの村も同等のコミューンなのである。英語ではコモン (common) にあたるこの言葉は、「共通」「共同」「共有」「多数」「平凡」「庶民」などを意味している。さすがフランス革命で平等を具現化した国である。ひるがえって、地方交付税の優遇をあて込み「平成の大合併」を行い、3200から1700に減ってしまったニッポンの地方自治体はどうだ。結果、使いみちがない”ハコモノ”だけが残ってしまった。今の政権が開始した「地方創生」なるものも、同じように「交付金ばらまき」にしか見えない。今の沖縄の基地問題への対応にも、この政権の持つ地方という、国家を形成する基本である共同体への強権的な態度が感じられてしかたがない。そうそう、いまになって村の名前を思い出した。Lagnesと書いて”ラニュ”と発音する。commune は”コミュヌ”。もうちょっとでオジサンに通じたのになあ。

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