Seeing Itself

あたらしい存在に出会うとき

Words by Kenji Jinnouchi, Photographs by Aya Iwai, Edit&Coding by Masafumi Tada

太宰府天満宮のアートプログラムの9回目の作家として招聘されたホンマタカシさん。独特の乾いた雰囲気漂う写真。そしてさまざまな新しいテーマを設け社会や写真そのものへの問いかけやアプローチを行う写真家として、多くの人から支持されている。そんなホンマさんの作品に興味を持ち、これまでもいろいろな写真展を訪れたという三迫太郎さんと、太宰府天満宮を5年間にわたり撮りため、昨年、天満宮で前田景さんとともに写真展「神さまはどこ?」を行った「ALBUS」代表の酒井咲帆さんがインタビュー。昨年の4月に太宰府を初めて訪れ、それから作品撮りのために10回以上も通ったというホンマさん。通うなかで太宰府から見いだしたものとは。


 今回、ホンマさんは9回目のアートプログラムにアーティストとして参加されたんですが、どういった経緯でプロジェクトに参加したんでしょう?

 2011年にイムズで写真展をやった際に、太宰府天満宮で神社を舞台にしたアーティストの企画展が行われている、という話を耳にはさんでいたんです。そのときはぼんやりと「いいな」「やりたいな」と感じてはいたんですが、こちらから立候補するものでもないので。今回は縁あってお声がけいただいてラッキーでした。

 権宮司の西高辻信宏さんが以前から、ホンマさんの写真が好きだという話をされていたんです。アートプログラムを依頼された際も、ホンマさんが太宰府を撮ったらどうなるだろう? って楽しみにされていました。それで、今回の写真展のタイトルですが「見えないものを見る」と言い切っていますよね。勿論、見る行為はこちら側に委ねられてはいますが、見るっていうことをどう表すんだろうと。私が開催した写真展のときは「神さまはどこ?」と言い切れなかった部分もあるのですが、このあいだ「太宰府自慢」でホンマさんにインタビューさせていただいたときも「神幸式の際に神職さんたちが神様が見えているように振る舞われ、ご奉仕されていることがパフォーマンスのようですごかった」とおっしゃっていましたよね。そういう部分でホンマさんが太宰府にきて感じていることってなんですか?



IMG_0608
ホンマタカシさん

 神様という見えない存在を信じ、そのように振る舞うことってコンセプチュアルアートに肉薄している、というよりむしろそっちの方がすごいと思うんですよ。もちろん、僕も日本人だから神社ってどういう存在か分かっていたけど改めて感じた、感じさせてもらったという感覚です。僕の仕事って僕が全てをコントロールしてやっていると思われることが多いんですが、実はやっていくうちに感じたものをどんどん反映させていくことの方が多くて。今回はのべ20日間くらい太宰府に通ったんですが、最初に考えていたことも次第に覆されていきましたね。

 僕も今回の展示会のタイトルは気になりました。ホンマさんは「ニュー・ドキュメンタリー」とか、毎回、時代的なムードを感じるようなタイトルをつけますよね。それで、今回の「Seeing Itself」ってこれまでも何度か使われていたフレーズで、日本語に訳すと「見ることそれ自体」かと思うんですが、それとこの「見えないものを見る」っていうタイトルとはちょっとニュアンスが違うのかなと。

 そうですね。一番は広がりを持たせたかったんです。日本語訳というよりダブルタイトルのような感じですかね。タイトルはいつもできるだけシンプルに付けたいと思っているし、曖昧なタイトルは付けたくない。多分、言葉に対してもすごく考えている方なんだろうと思います。


今回のアートプログラムでは太宰府天満宮の宝物殿での展示に加え、竈門神社でも2つの作品が展示されている。対談に先立って酒井さん、三迫さん、セントラルスタッフでその会場を訪れていた。
授与所の隣にある太宰府の街を一望するテラスには、観光地にある双眼鏡を覗いて大樹に掛けられた鏡を見る屋外作品が。ホンマさんは2011年に金沢の21世紀美術館の展示会でも、双眼鏡で自分が撮影した山の写真を見てもらうインスタレーションを行っているが、屋外で対象物を覗くスタイルは初めてで、ホンマさん自身、「念願だった作品」だという。神幸式の神輿に付いた鏡に着想を得たという鏡が6つ、大樹の枝先でゆらゆらと風に揺らいでいる。鏡の角度によって鏡面には深緑の樟が映ったり、拝殿が映ったり。この作品の舞台が神社であることを、はたと気付かされる。
そして、もう一つが神社で婚礼を行う際に新婦の控室として使われる一間をカメラオブスキュラにしてピンホールカメラ作品を撮るという試み。にじり口をくぐるとそこは漆黒の空間。やがて壁に針で刺したような穴から光が射していることに気付き、時間が経ち目が慣れるにつれ穴の反対側にぼんやりと上下反転した像が浮かび上がってくる。紀元前からその存在が知られ、カメラ構造の元となったとされるカメラオブスキュラ現象だ。さらに目が慣れてくると部屋の外の木々の色彩まで感じるようになり、先程まで双眼鏡で覗いていた鏡の乱反射までも認識できるようになってくる。まさに巨大なピンホールカメラの構造に入って写真を見る感覚。2つの作品とも実際に見えるものより、見ることそれ自体を楽しむ、あるいは問いかけるような作品だ。

IMG_0454
竈門神社にて、三迫太郎さんと酒井咲帆さん



 太宰府天満宮のアートプログラムをやったことでより抽象性が増したような気もします。見えなくてもいいやとか、見るだけでいいやってね。今までの僕の仕事の延長線上ではあるけれども、宝物殿の作品も含めてここまで思い切った作品はなかったですね。フィルム送りが完全じゃない写真とか、光が入り込んじゃった写真とか。もちろん普通の写真をはじめた人とかが見たら、「ホンマさんだから許されるんだよ」と思うかもしれないけど、でも僕の仕事は「なんでやっちゃいけないの?」っていうのをやるっていうことだと思うから。

 ホンマさんの今までの作品や仕事を見てきた人なら、失敗したような写真にもちゃんとそれに至った背景があるはずだと思うんですが、でもそれを丁寧に解説するわけではないですよね。御神馬の白梅号(通称シロちゃん)を撮った作品のタイトルも「シロちゃん右左」とかだったり。なんだか見る側の意識を試されているような気にもなりました。

 本来、日本人って意味が分からないものでも「いい」と感じられる感性が備わっている人たちなんじゃないかなと思うんです。それにこういうの(太宰府天満宮の所蔵物)があってのこの作品だから、改めて言う必要がないんじゃないかなと。

 作品を見ながら、神様とホンマさんの距離感というか、ホンマさんがどういう立ち位置で太宰府に通って風景を見ていたのかな思いました。

 神様がどう思っているかは分からないですけど(笑)。でも竈門神社の屋外作品を設置する際に、樟の大木に丸い鏡を取り付ける作業を職員の方々がされたんですけど、すごく丁寧にやってもらって。吊り下げる紐で木を傷めないように杉の皮を巻いて養生してからだとか。そういった職員の方たちの存在ってすごく大きいんですよね。それによって僕が自由にさせてもらえるというか。東京から製作を手伝いに来てもらった人も、普通の広告撮影だったら絶対こんなことさせてくれないですよねと驚いていました。また、広告の仕事とかで忙しい人たちなんだけれど、普段東京のスタジオでみるのとはまた違った楽しそうな雰囲気でやってくれたのが嬉しくって。だから神様に触れたっていうよりも、太宰府全体のいい仕事、いい空気に触れたという感じはしますね。それはひいては神様の存在のなせるわざかもしれないですが。

 ホンマさんはいろんな国に行かれていると思いますが、いろいろな宗教が関わる施設でそういう感覚を味わうことはありますか?

 海外の施設に比べても太宰府は特別な場所であることは間違いないですね。

 僕はいま「CENTRAL_」という福岡を拠点に国内外で活動する人たちのクリエイティブを発信するウェブメディアに関わっていて、その人が拠点を置く場所にも関心があります。ホンマさんは海外でも活動されていますが、ずっと東京に拠点を構えているのはどういった気持ちからなんでしょうか?

 ありえない話なんですが、理想は東京以外の場所に住んで仕事したいんですよね。だけど東京で生まれ育って今更田舎暮らししますというのは許されない気がするんです。東京ってすごくストレスフルな場所で、逆に言えば標高3000mとか4000mの山にいるようなストレスがあると思うんです。暮らすのも仕事するのも。だから太宰府に来ると本当いいなあと。東京を目指していないし、小さいけど、経済的にもここで完結しているじゃないですか。それこそ生まれ変わるなら蹄鉄屋になりたいなと。

 シロちゃんの映像をみているとその気持ちが分かるような気がします。

 蹄鉄の職人さんにもインタビューをされたそうなんですが、どういうことを聞いたんですか?

 ここに通う前は蹄鉄のことを全く知らなかったから、歴史から仕事のやり方までいろんなことです。また、シロちゃんを育てている日永田さんが本当に丁寧な仕事ぶりで。毎日毎日文句のひとつも言わず、一所懸命世話をしているのが当たり前だけどすごいなと。

 それって神様がいるとかいないの話にも繋がっているような気がします。そもそも神様がいるけど、何も言わない存在として感じている。だからどんな風にも見えるじゃないですか。

 うーん。確かに神様という見えない存在に、太宰府っていう街は守られていると思いますね。それに羨ましくもありますね。こっちは3000m、4000mの世界にいるわけだから。アートプログラムって本当は1、2週間滞在して取り組んでもいいんですよ。でもまた来たいなという気持ちがあったから10回以上通ったんです。だからこのプログラムの準備のために通うこともないと思うと寂しいですよね。

 ホンマさんはどういう思いで、写真を続けているんですか?

 どうなんですかね(笑)。

 (笑)。作品をみていると、社会に対して思いがあるからこそ続けられるのかなと考えていましたが。

 そうですね。そういうつもりでやっているつもりだけど、それが何らかの役にたっているかどうかって分からないし、もしかしたら変な思いや嫌な思いをしている人がいるかもしれない。

 東京にいるからこそ、そういうことが敏感に読み取れるんじゃないかとも思うんですけど。

 んー。でも普通に東京にいたら仕事とかお金の流れでマヒしてみんな押し流されちゃってますけどね。


C 先程、シロちゃんを撮った映像作品を見ながら「本当は音を聞いて欲しい作品」とおっしゃってましたよね。

 だいたい映像作品って、音は後づけじゃないですか。バックグラウンドミュージック(BGM)という言葉があるように。そこを映像50%、音50%くらいに拮抗させたかったんですよね。だからわざと真っ暗で何も写っていないような部分も多いし。その黒い時間で音だけ聞いて想像してくれたらいいなと。実際、現場では印象的な蹄の音が遠くから聞こえてきて、姿は見えないんだけど感じることができていたので。

 作る順番としては先に映像を記録して、あとから音のコンセプトを決めるんですか?

 そうすることもありますが、前に知床の鹿狩りの映像「Trails」を作ったときは先に音をつくってもらって、そこから逆に絵をあてていく手法でした。むしろそっちの方が僕としてはカチッとくるんです。映像を撮ってそこに好きな音楽をかけるやり方は自由度が高過ぎて逆に収まりが悪いというか。だから今回も同じような構成ですね。


IMG_0633a
 僕は普段、Webサイトや展示会のグラフィックなどを作ることが多くて、ホンマさんの写真集や展示会を作っているデザイナーさんとの関わり方について伺いたいです。

 そこも意外と真剣に考えています。人気でほかの人の写真集の仕事もいっぱいやっている人には絶対に頼みたくないんです。だから写真集の装丁をお願いするデザイナーさんはだいたいいつも新規開拓。服部(一成)も最初に僕が頼んだし、「TOKYO SUBURBIA」を作る際の大貫卓也さんもそうだし、田中(義久)くんとか今回の長嶋りかこさんとかもそうだし。

 たまたま僕が田中義久さんや大原大次郎さんとかと同じ世代というのがあるから、「あっ、この世代にも(ホンマさんの仕事が)来るのか」って驚きだったんです。そういう方々に作品を任せて編集してもらったりされてますよね。

 優秀だなと思ったらそこでいろいろやってもらったり。で、そのあとは勝手に人気者になってくれれば(笑)。長嶋りかこさんの場合は毎日デザイン賞とかもとってて、すでに超人気なんだけど、写真集の一発目は僕のをやってねってお願いしていたんです。

 服部さんがされた「ニュー・ドキュメンタリー」のときのグラフィックは、デフォルトに近いシンプルなフォントだけで構成されていますよね。

 そうですね。結局僕はいままでいろんな写真集を出しましたが、一番いい装丁ってマイク・ミルズがやってくれた、アイルランド郊外を撮った写真集「Hyper Ballad-Icelandic Suburban Landscapes」だと思うんです。あれは本当にシンプルなんだけど、飽きのこない長持ちのする写真集にしてくれて。いまこういうデザインが流行っているからこれをやりたいとか、内容と関係のない特殊な装丁はいらない。いろんなアイデアを詰め込むんじゃなくて、こういう写真集で、こういう写真で、こんな内容だからこれがいいよね。センスとかデザインとかじゃなくて、ある種の哲学だと思うんです。それがすごくハッとしました。せっかく僕が自由にデザイナーさんを選べるし、若いデザイナーがこういうチャレンジのあるデザインを出して来たときにOKを出せる立場にいるから、それは積極的に受け入れたいなと。(長嶋)りかこがデザインした今回のアートプログラムのポスター(タイトルのテキストが写真によって分断されている)だって、よく天満宮の人たちはOK出してくれたなと。普通これはないでしょう(笑)。

 でも、これはいい意味で違和感がなかったですよ。

 服部の「ニュー・ドキュメンタリー」でも改行の位置がヘンだったりするでしょ?

 はい。僕も服部さんファンなんですけど、服部さんの手がけたものの中であれは急に異質なものがでてきたなと感じました。フォントもWindowsに最初から入っているMSゴシックを使っていたりとか。デザインを生業にしている人からしたら普通はありえないけど、完成したものを見るとありえますもんね。

 きっとそういう発想が好きなのかな。だからそういう写真が好きだし、デザインに対してもそうだし。目から鱗っていう。「なんでやっちゃいけないの?」ってことは常に考えている。結局は写真に限ったことじゃなくて、そういう瞬間が好きなのかもしれないな。


こうして約1時間のインタビューは終了。
実はその最中にホンマさんから一度、インタビュー時の撮影についてひと言があった。そのとき、ホンマさんが語ったのは、本来は自分自身を撮影されることは苦手なこと、だから自分がひとを撮影するときは最高に気を使い、かつ速く終わらせていること。そしてこう続けた。
「カメラマンて仕事の最中、いっぱい写真を撮ってないと真面目にやってないみたいに思われるじゃないですか。そういう社会のなんとなくの常識がかわいそうだなと。そういういろんな常識に抗う気持ちと、僕がこういう作品を撮っていることって繋がっているんですよね」。


ホンマタカシ
写真家
1962年生まれ。
1999年写真集『東京郊外』で、第24回木村伊兵衛賞を受賞。
2011年から2012年にかけて、自身初の美術館での個展「ニュー・ドキュメンタリー」 を日本国内三ヵ所の美術館で開催。
写真集多数、著書に『たのしい写真 よい子のための写真教室』がある。
近年、建築をカメラオブスキュラにして都市を撮るピンホール作品のシリーズや動画作品の発表を行う。
現在、東京造形大学大学院客員教授。


酒井咲帆
写真家
1981年兵庫県生まれ。福岡県在住の写真家。九州大学USI機構子どもプロジェクトで活動した後、2009年、福岡市警固に写真屋「ALBUS」を立ち上げ。写真現像や家族撮影などを営みながらまちづくりに関わる。太宰府天満宮や太宰府の街を紹介するフリーペーパー「太宰府自慢」の撮影も担当。

SHARE :